フランス共和国

フランス共和国の国旗
首都パリ
言語フランス語
人口65,447,374人(2010)
面積632,759km²

解説

1789年7月14日のバスチーユ襲撃の翌日、国民軍総司令官ラファイエットが市民に与えた赤白青の帽章に由来する。

自由・平等・博愛をうたう三色旗(トリコロール)。赤と青はパリの色、白はブルボン王家の色といわれた。

ナポレオンも三色旗をそのまま用いたが、1814年5月のルイ18世のパリ帰還で、ブルボンの白旗が復活した。

その後も紆余曲折はあったが、三色旗は1830年の七月革命でルイ・フィリップが復活して以来、今日まで続いている。

3色の比率は「視覚上の効果」から、一時、竿側から30対33対37の割合が多く用いられたが、1946年の第4共和国憲法で3等分と定められた。

しかし、1958年の第5共和国憲法(ドゴール憲法)で「等分」の語が削除された。

もっとも昨今では、海上での使用を除き、ほとんど等分のもののみが使用されている。

フランス革命で生まれたフランス三色旗はまず、イタリアの国旗の採択に影響を与えた。

1776年、ナポレオン・ボナパルトはイタリアに遠征し、中世以来分裂していたイタリア諸国を統一してフランスの傘下に収めた。

その時に旗印としたものが、19世紀になってカルボナリ(炭焼き党)やガリバルディらによる統一運動のシンボルとなり、1859年のイタリア統一戦争を経て、ヴィットリオ・エマヌエレ2世の下で、イタリア王国となった時(1861)、国旗として採択されたのだった。

第二次世界大戦で共和国となるまでは中央に十字架を中心とする紋章が付いていた。

フランスとイタリアのデザインの関係を彷彿とさせるのが、ロシアとブルガリアの国旗。

ロシアの白青赤の青を緑に換えたのが、同じスラブ人の国・ブルガリアの横三色旗。

ノルウェーの国旗もフランス三色旗から色を採ったもの。

現在のノルウェーの王室は、ナポレオン麾下の名将といわれたベルナドッテが開祖。19世紀初めの乱世には軍事に長けた国王がふさわしいとしての推戴だった。

この人は南フランスのポー出身の下士官だったが、革命期に大いに活躍して元帥にまで上り詰め、ポンテコルヴォ公爵の爵位も継ぐという出世ぶりだった。

1810年、スエーデンのカール13世の養子として王室に入り、カール・ヨハンと改名し、王太子兼摂政となった。

ところが、運命とはこういうものか。

1813年のライプチッヒの戦いでは、ロシア・プロイセン、スエーデン連合軍を指揮してナポレオン指揮するフランス軍を破り、フランス側に立ったデンマークからノルウェー地方を割譲させたのだった。

かくしてスエーデンとノルウェーとの同君連合ができた。

1818年のカール13世の逝去に伴いこの人がカール14世ヨハンとしてスエーデン国王(兼ノルウェー国王)となった。

この同君連合は1905年まで続いた。