国旗についての物語
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先日、名古屋の徳川美術館を訪問した際、玄関を入ったすぐのところで久々に、家康が各大名に命じて駿府(今の静岡)城を造らせている様子を描いたこの図屏風を見た。 この絵は1607(慶長12)年、二の丸石垣構築の一部を受け持った […]
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全官庁が毎日、国旗「日の丸」を掲げるようになったのは、1964年の東京オリンピックを前にした前年の9月から。 中でも私はが気にいっているのは、法務省前。反対側の警視庁サイドから撮影したもの。 全国の皆さん、あるいは海外に […]
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「大喪中ノ国旗掲揚方(けいようほう)」という閣令が今も有効である。これは、天皇の崩御に伴う国旗の掲揚の仕方について定めた日本の閣令であり、「大正元年閣令第1号」という立派な番号が付されたものだ。 大喪中ノ国旗掲揚方ぼ付図 […]
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明治10(1877)年9月、西南戦争で西郷軍配線の報を得た政府が、全国の各戸に国旗を掲げ、政府軍の戦勝を祝すよう、各道府県に通達した。 東京では正月にこのように「日の丸」が掲揚される。この写真は表参道。ほかに銀座、青山、 […]
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明治政府は明治3(1870)年、2つの太政官布告で、商船に掲げる国旗と軍艦に掲げる国旗を制定した。それぞれ縦横比や円の位置が違うことについてはこれまでも触れたし、いずれさらに詳しく述べたい。 それが一般も使用してよいよう […]
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朝鮮半島での鉄道敷設については、19世紀の後半、アメリカのモースがこれに着手しようとしたが、米国内で出資者がなく、結局、渋沢栄一が実行することになった。その結果、まず、1899年9月18日、漢江西岸の鷺梁津から済物浦(仁 […]
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1949年1月1日、連合軍最高司令官マッカーサー元帥は、「国旗の無制限掲揚許可に関する総司令部覚え書き」を発し、これによって、日本国民はいつでも自由に「日の丸」を掲げ、使用することが出来るようになった。しかし、国民の反応 […]
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1999年8月13日施行の「国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)制定までの間、「日の丸」に反対を表明する人たちが一大勢力として存在していた。日本教職員組合、日本社会党、日本共産党、朝日新聞などは、「日の丸」の国旗として […]
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敗戦直後の9月16日、米太平洋艦隊連絡団覚書が日本側に通達された。これは、日本船籍を示す商船旗としては常に、国際信号旗のE旗の先端を三角形に切り取った旗を使用するようにという内容であった。これでは遠くから見たら、フィリピ […]
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第2次世界大戦に敗れた日本は、ダグラス・マッカーサー元帥を頂点とする連合国軍総司令部(GHQ)の支配下にはいった。 この日本商船管理局の旗が占領下のわが国の船舶には「日の丸」に変わって掲げられた。 フィリピンの国旗としば […]
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孫 文圭朝鮮大学校教授の講演録、最終回である。 北朝鮮の国旗 国旗掲揚事件の犠牲者への救援活動 禁止命令の不当な適用に対して直ちに幅の広い抗議運動が生まれました。国旗禁止命令が出された翌日の10月9日にすでに、朝連中央の […]
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孫 文圭朝鮮大学校教授の講演録を続ける。 北朝鮮の国旗 各地の国旗掲揚闘争とそのヴァリエイション 最後に、各地の闘争について簡単に触れておきたいのです。 マッカーサーの厳しい禁止命令のもとでも、在日同胞たちは国旗掲揚闘争 […]
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