国歌を一緒に歌えない国 – ベルギーは国語が3つ

7月24日の朝日新聞でこんな記事を読み、久々にベルギーを訪れたことを思い出した。旅行者としていったこともあるし、WAY(世界青年会議)の代表として、同国第5の都市リエージュにしばらくいたこともある。首都ブリュッセルのグランプラス(大広場)やその裏通りの小便小僧など、懐かしい。


ベルギーの国旗。

今日のブリュッセルはまさに「欧州の首都」。1830年にフランスの7月革命の影響を受けてオランダからの独立を宣言し、翌年のロンドン会議で、ドイツとイギリスの王家の成婚による新たな王家の樹立で、永世中立国として独立が承認された。

国旗は1830年当時は黒、黄、赤の横三色旗だったが、翌年にはこの配色になった。おそらくドイツの印象を避けたのではないかと推測するが、時代的には微妙である。

三色は、黒地に赤い舌を出している黄色いライオンというブラバント公の紋章に因んでいる。国旗の縦横比は、13:15。しかし、実際には2:3も政府機関をはじめ、広く使われている。13:15という比率があまりに特殊であり、EUの「首都」のある国の国旗として、これでは各国の国旗との釣り合いが取れないという不便さからきているのではないだろうか。

まずは、朝日新聞の記事。

先日、ベルギーで国王が交代した。ブリュッセルの王宮であった退位式で、あることに気づいた。国歌を歌っている人が見当たらない。

政府の関係者が理由を教えてくれた。「オランダ語、フランス語、ドイツ語と三つの公用語でみんなが歌ったら、収拾がつかなくなる」

ベルギーは南北で言葉も文化も異なる。そもそも国民の多くが国歌の歌詞を覚えていないという。退位式を前に、地元紙は3カ国語の歌詞を並べた見開き広告を掲載。スマートフォンを口の前に持ってくれば、代わりに口をパクパクして歌っているように見せるアプリまで登場した。

ある20代の女性は「歌詞は知らないけれど、私はベルギー人に変わりないわ」と、あっけらかんとしている。

南北の対立は根深く、国への帰属意識が薄い人が多いといわれる。本当に分裂しないか心配になる。

だが、新旧国王が交代した日は珍しく、黒、黄、赤の国旗が町を彩り、顔や服を三色に染める人も。国歌が歌えなくても、祖国への愛情を素直に、控えめに表す人たちは少なくない。分裂はそう簡単じゃないと信じたい。

ベルギーの国旗だが、オランダ語に近いフラマン語では Vlag van België、フランス語とほとんど同じのワロン語では Drapeau de la Belgique、そしてドイツ語を日常的に話す人は人口の1%程度だが、ドイツ語では Flagge Belgiens。これでは国歌を一緒に歌うのは無理だ。

言語の相違から、1993年に北部のフラマン語地方と南部のワロン語地域との区分を主とする連邦制に移行した。

国民はフラマン語を話すフランデレン人が58%、フランス語を話すワロン人が31%、その他という構成だ。特に首都ブリュッセルは中東系を中心とした移民が多く、「近年ではアラブ系のMohammedがブリュッセルで生まれる男子でもっとも多く名付けられる名前となっている」という話もある。

言語に加え、フランデレン地域は経済的に裕福であり、教育レベルが高く、ほとんどのフラマン人はフラマン語のほかに、フランス語や英語をかなりうまく話せる。それに対し、南部のワロン語地域の人たちはフラマン語地域の人たちに比べ、経済的に貧しく、教育レベルも低く、そのことから外国語習得の機会に恵まれず、フラマン語や英語を使える人は少ない。首都ブリュッセルはフラマン語地域に囲まれているが、ワロン語を話す人が8割以上を占めていて、フラマン語共同体とフランス語共同体の双方が入り混じって住んでおる。

言語からくる住民環状の対立は激しく、7年ほど前、こんなとんでもない騒ぎが報道された。すなわち、2006年12月13日、ベルギーの公共放送RTBFが「(北部の)フランデレン地域が独立を宣言して、前国王アルベール2世がコンゴ民主共和国(旧ベルギー領)に亡命した」という「架空のニュース」を流したのだ。これは国内の言語問題の議論を喚起するためだったと説明されたが、実際にはこれで、一時大混乱に陥り、あらためて地域間対立の深刻さを示すことになった。

世界には英仏語のカナダ、独仏伊そしてロマンシュ語(南東部グラウビュンデン州の人口比0.5%の人たちの言葉。世界の「絶滅に瀕する言語」の一つ)というスイスをはじめ、ベルギー以外にも複数の言語を公用語としている国がいくつかあり、国会論議が同時通訳で行われているのだ。その複雑な国民心理は、東京弁の人が「関西弁は嫌いだ」などというのとはまるで違う深刻なものであるといわれる。

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