祈武運長久、日本兵の「日の丸」息子へ

最近こういう記事が少なくなったと思っていたら、6月26日の朝日の夕刊にかなり大きく、以下の記事が出ていた。写真の説明には、「元米兵が沖縄から持ち帰った日の丸=鈴木亜希さん提供」とある。

68年前に沖縄戦で亡くなった日本兵の遺品が7月、東京に住む一人息子の元に返る。沖縄から米国に持ち帰った米兵の意をくみ、孫娘の恩師である日本人女性や警視庁の警察官が遺族を探し当てた。

遺族の元に返るのは、「武運長久」と大書された幅1メートルほどの日の丸。米陸軍の工兵として沖縄戦に従軍した米国ワシントン州セントラリア市のハーバート・インガルス・マックドウガルさん(87)の手元にあった。

戦時中に沖縄の洞窟で見つけ、1946年3月に故郷に持ち帰ったまま自宅のクローゼットにしまいっぱなしになっていた。今年3月に家を片づけていて気づき、「日本兵の持ち物だから返したい」と孫娘(24)に頼んだ。

孫娘が相談したのは、大学で日本語を教わった同州に住む鈴木亜希さん(39)。書き込みの中に「千住警察署」の文字があったため、鈴木さんは東京都荒川区の実家に近い千住署に電話した。

電話を受けた小暮展也(のぶや)警部補(55)は、警視庁の記録から、43年9月に同署の星藤二(とうに)巡査が徴兵され、45年6月27日に沖縄で27歳で戦死したことを割り出した。一人息子の忠孝(ただたか)さん(71)が都内に住んでいることも突き止めた。

25日、都内の自宅で取材に応じた忠孝さんは「父親の記憶は肩車や抱っこをしてもらった思い出だけ。最初は半信半疑で、こんなことがあるんだろうかと信じられなかった」と話した。

星さんが戦死した時、忠孝さんは3歳。96年に亡くなった母親からは「人に気を使う優しいところがあなたと似ている」と言われていたという。沖縄からは遺骨さえ戻らず、父の思い出を残す品は5枚の写真だけだった。

大人になったら酒を酌み交わしながら男同士の話をするのがあこがれだった。米国で日の丸が見つかったことを知り、言葉が出なかった。遠くを見やりながら、忠孝さんは静かにそう語った。

7月に手元に届く予定の日の丸は、仏壇のある和室に飾るつもりだという。

悲しいことではあるが、地方各地の郷土博物館などに行くと、こうした遺品を展示しているところが珍しくない。

私はが一つ不思議に思うのは、戦時中、10万人を優に超える連合軍の捕虜を得た時に、おそらく没収したであろう連合国の国旗が保管されている例はないのかということ。

どなたかそんな例をご存知でしたら教えてください。

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