野口英世記念施設も欧米志向に – 少し寂しいガーナへの援助

TICAD5(第5回アフリカ開発東京会議)が終わったばかりだが、日本のメディアには珍しく、アフリカ関連の記事が続いている。いいことだ。産経新聞は6月14日付【鼓動2013】で「ガーナ 野口英世、終焉の地 連綿と続く日本の医学支援」を掲載している。細菌学者の野口英世博士(1876~1928年)が黄熱病の研究に尽力し、最期を迎えた西アフリカ・ガーナ。首都アクラから大内清特派員による長文の記事だが、

要点は、①アフリカ大陸における「民主主義の優等生」といわれているガーナ、①資源価格高騰を背景に堅調な経済状況を維持、投資先として国際的な注目が集まっている、②医学の分野では、野口博士の業績が縁となった日本の支援により、画期的な成果の誕生も期待されている、③ 特に、アクラ北郊の緑豊かな丘陵に、野口英世の功績をたたえ1979年に設立された「野口記念医学研究所(野口研)」がある。

 これは、60年代から日本が続けてきたガーナ大学医学部への支援を発展させた形で、建設費は全額、日本の政府開発援助(ODA)でまかなわれた。現在はウイルス学や寄生虫学の分野で西アフリカを代表する研究施設のひとつに成長。所員は「ここまでこられたのは、日本が手を差し伸べてきてくれたおかげだ」と口をそろえる。


1957年に採択されたガーナ国旗。デザインしたのは、Theodosia Okoh(詳細不明)。
赤は独立のために流された血、黄は鉱物資源と富を、緑は森林と自然の恩恵を、黒の星はアフリカの自由を象徴している。
1964年の元旦から約2年間は中央の帯が白だった。このため、東京五輪(64年10月)ではそちらのデザインの国旗を使用した。

日本の国旗

ただ、大阪大学などに留学経験もあるジョージ・アーマ准教授(57)は「全体的にみれば、近年は残念ながら日本の立場は低下してしまった」と語る。欧米の支援が急増し、かつては最大ドナー国だった日本の野口研への供与額は、現在、「全体の1~2割程度」(クワジョ・コラーム所長)だ。

野口研が日本以外の国からの資金提供を受けられるようになったのは研究機関としての実力が高まったためであり、設立当初から支援にあたってきた日本の成果だともいえる。

だが、アーマ准教授が指摘するガーナ側の“日本離れ”の理由はこうだ。90年代、ガーナ側は地元の関心も高いマラリアの研究を強化したいと要望したものの、日本側は研究内容などを検証できる日本人専門家が少ないことなどを理由に拒否、「多くの研究者が研究資金を求めて欧米への働きかけを強めるきっかけになった」。

「医学に国境なし」と大きく出て、同国の発展を考えればそれでもいいのだが、アフリカではそれでなくとも日本の存在感が薄れつつある中で、外務省や厚生労働省はせっかくの日本の援助の象徴であり、拠点とも言うべきこうしたケースをもう少し重点的かつ継続的に支援していいのではないか。

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