伊勢神宮と出雲大社の「日の丸」③ 古代の社の高さに匹敵

平成21(2009)年9月、今度は出雲大社の近くの高校で講演する機会があり、斎戒沐浴、好天を祈りつつ、日本一太いしめ縄のある、出雲大社の神楽殿前の国旗掲揚塔に実際に「日の丸」が掲揚されている様子をよく拝見させていただいたのち、吉川雅昭権禰宜を訪ねました。

ところで、話は前後しますが、この国旗掲揚塔の高さ47メートルというのは、かつての出雲大社の本殿の高さとされる数字と関係があるのです。本殿は古代において現在よりもはるかに高く、中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられているのです。ここから想定されるのは、空に向かって延びた何本もの柱の上にお社が建つというものであり、東大寺大仏殿(当時の伝承によれば15丈・45m)や平安京大極殿より巨大であったということになります。


上代の出雲大社想像模型(同大社博物館に展示)

「ですから国旗掲揚塔を48メートルより1メートル低くしたのは、この16丈(48m)を超えない最高の高さということなのです」と市川権禰宜が教えてくださいました。

こんなじゃれ歌があるそうです。平安時代に源為憲によって作られた「口遊」で数え歌で「雲太、和二、京三」すなわち「出雲太郎、大和次郎、京三郎
というのを元にしているというのです。出雲大社が一番大きく、次が東大寺の大仏殿、3番目が平安京大極殿ということです。

こんな大きな建築物として出雲大社が古代に建造できたのかについては、疑問を呈する意見もあるでしょう。「何度も倒壊したという記録が残っています。ただ、当時の通常の建築技術のレベルを超えて建てられた可能性は否定出来ないのではないでしょうか」と市川権禰宜。それにしても、上古の32丈はあんまりでは? 「山の頂上に建てられ、その山の高さであると考えれば、不自然ではないいという意見もある」とこれはウィキペディアによる説明です。

「出雲大社近江分祠の此花健児隊健女(現・花の会)が昭和11(1931)年に国旗掲揚塔と国旗を献納したのが、この巨大国旗掲揚塔のはじまり。平成14(2002)年には、松くい虫の被害を防除中のヘリコプターがぶつかり、国旗と掲揚塔を破壊、島根県森林組合連合会が掲揚塔を改めて寄贈し、花の会が旗を献納されました。毎朝8時に掲揚し、夕方4時に降納します。雨天には掲揚しません。また綻んだら補修して使用します」。

伊勢神宮と出雲大社を比較するなどというのは、おそらくは畏れ多いことかと思いますが、どうやらこと国旗に関しては、天照大神よりも大国主命のほうが、上のような気がします。

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