国旗のある風景 – 南ベトナム

調べ物をしていたら、1973(昭和48)年1月に発行された週刊サンケイ緊急増刊「全記録 ベトナム戦争30年 B52・ミグ戦闘機から拳銃・小銃まで」が書庫から出てきた。写真説明として「北ベトナムの民族衣装であるアオザイ。ベトナム女性の外出着になっている。絹の長い裾があでやかにゆれる。最近はミニも登場している」とある。

この衣装、南ベトナムでは正しくは「アオヤイ」という。髪の長い若い女性がアオヤイを着、バイクに乗って移動する姿など、今思い出しても美しく瞼に残っている。

この1月30日午前8時をもって「パリ和平協定」が発効した。その年のノーベル平和賞はこの協定を推進した米国のヘンリー・キッシンジャーと来たベトナムのレ・ドゥク・ト北ベトナム(ベトナム民主共和国)代表団特別顧問が共同受賞した。しかし、キッシンジャーへの授与をめぐってはノーベル平和賞選考委員会で激論があり、二人の委員が辞任したとか。

なにはともあれ、この協定発効直後、私は南ベトナム(ベトナム共和国)に国際赤十字の駐在代表として赴任した。捕虜や国内避難民の世話が主な仕事だ。サイゴンに国際赤十字の現地本部があったので、だからこの光景は実になじみ深い。おそらくは当時のサイゴン(今はホーチミン)、このベトナム最大の都市のこれはグエンフエ大通りではあるまいか。

黄色の地に赤の3本線という南ベトナムの国旗が懐かしい。3本の線はトンキン(東京)、アンナン(安南)、コーチシナ(交趾支那)の、この国を構成する3地区とその統合を表すというものであった。

協定の発効で和平が来るなどということは到底、想像できなかった。これは反戦運動が盛んになったアメリカがインドシナ半島から戦闘部隊を撤退させるための取り決めであって、北ベトナム軍はその2年後、破竹の勢いで南下し、75年4月30日、サイゴンは陥落し、ベトナム戦争はあっけなく幕を閉じた。

しかし、200万人近い人々が難民として国外に逃れた。これをもって「解放」とは私は言えないと思う。ベトナムの南北戦争で、「南軍が負けた」という表現が一番ぴったしではないか。

在日ベトナム難民の集会などでは今でも、当時の故国を偲んでこの国旗が掲揚される。だから、この写真は、私には懐かしい光景にすぎないが、難民となった人たちには胸が詰まる一枚であろう。

ここで、統一なった現在のベトナム社会主義共和国の国旗「金星紅旗」を掲載するのはこの人たちの気持ちを逆なでするに違いないので、取りやめたい。

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