フォークランドで住民投票

英国とアルゼンチンが領有権を争う英領フォークランド(スペイン語名マルビナス)諸島で3月11日、同諸島の帰属を問う初の住民投票の開票が行われ、99.8%が英領のままがいいという選択をした。投票率92%だった。イギリス政府は投票結果を尊重するよう、国際社会に求めているが、アルゼンチン側は「住民の声は領土の帰属問題には関係がなく、何の法的効力もない」と反発している。


フォークランド諸島の旗

アルゼンチンの国旗

イギリスの国旗

1982年3月19日にアルゼンチンに近い南大西洋の英領フォークランドに「解体業者」を装った一部隊が、海軍輸送艦「バイア・ブエン・スセソ」で入国手続き一切を無視して、サウス・ジョージア島に上陸し、アルゼンチン国旗の掲揚などを行ったのが始まり。アルゼンチン軍は大奮戦し、英国の艦艇を多数撃沈するなどしてサッチャー首相を苦しめた。

戦闘は6月14日までの約3ヶ月続き、最終的にはアルゼンチン軍の降伏で終わった。「西側」の国同士の近代兵器を使用した戦争として記憶っている。

ところで、1982年のフォークランド紛争で、英国のサッチャー首相(当時)がアルゼンチンへの経済制裁をめぐる日本の対応に不満を示し、時の鈴木善幸首相に強い調子で方針転換を迫っていたことが、英公文書館が当時の外務省機密文書を公開したことで明らかになった。

当時、アルゼンチンには3万人を超える邦人や日系人がおり、経済協力が進められていたことなどから、日本は欧米の制裁に加わらなかった。しかし、これが英側には、欧米の制裁をよそに日本が貿易や経済関係を拡充するのではないか、との警戒感もあったようだ。

一方、同諸島をめぐって英国と戦火を交えたアルゼンチンは最近、島への“経済制裁”や政治宣伝などで攻勢をかけているが、わずか3千人の島の住民は、自立と発展への道を着々と歩んでいる。

最近、同諸島を取材した内藤泰朗産経新聞ロンドン市局長は、次のように報じている。

英本土の空軍基地を飛び立ち、大西洋上での給油を入れて約20時間。英空軍のチャーター便がフォークランド諸島周辺上空に入ると突然、窓の外にミサイルを装着した灰色のタイフーン英戦闘機が出現した。しばらく並んで飛行した後、飛び去っていった。

島の領有権をめぐって争われた「フォークランド紛争」から31年がたったいまもなお緊迫した状況にあることを実感した。

英国が実効支配していた島をアルゼンチン軍が突如、武力で占領したのは1983年4月。これに対して、当時のサッチャー英政権は本土から約1万4千キロ離れた島に大艦隊を派遣し、約2カ月半の戦闘の末に島を奪還した。この紛争で、双方合わせて900人以上が死亡した。

英国は、その反省をもとに巨大な空港や軍港を新設し、新型兵器を配備。約2千人とされる駐留部隊のほか、増援部隊をいつでも投入できる態勢を整えた。(中略)

アルゼンチン政府は昨年来、中国や南米諸国との連携を深め、今年1月に英紙に掲載されたキャメロン英首相への公開書簡では島の返還を改めて要求。同様の書簡は国連の潘基文事務総長にも送られた。

アルゼンチンのティメルマン外相は先月、ロンドンを訪問し「マルビナス(フォークランドのアルゼンチン名)への主権を20年以内に取り戻す」と断言。「フォークランド島民など存在しない。彼らは英国の植民地主義者たちだ」と述べ、島民とは一切交渉しないとの強硬姿勢を示した。

「彼らにとっては前回の負けに対するリターンマッチのようなものなんだ」。南米チリから22年前に島に移住し、アルゼンチンの国情にも詳しい民宿の経営者、アレックスさん(42)はこう説明する。

経済危機に直面するアルゼンチンは、サッカーのように国民が団結できる領土問題で危機をあおることで政権基盤を維持しようというわけだ。「アルゼンチンには島民たちが同国領になることを望んでおらず、自治の道を歩んでいる現実を認める考えはない」ともいう。

「だからこそ、私たちの存在を世界に示すため、住民投票を実施することが必要なのです」。フォークランド自治政府のパジェット首相(57)はこう語る。(中略)

アルゼンチンの脅威

島はちょっとした好景気に沸いていた。政庁所在地のスタンリーでは、建物の新築ラッシュが起きていた。2年先まで建設関係者の予定は埋まっているという。

しかし、紛争までは羊毛産業しかない「貧しい島」だった。英国も経済的な苦境にあり、「英政府は一時、島をアルゼンチンに譲渡することを検討していた」(英紙テレグラフ)。ところが、紛争後に獲得した島周辺の漁業権からの収入で、自治政府の歳入は紛争前の8倍に激増。

「ペンギンの楽園」として知られる観光も始まって、島の歳入は年約5千万ポンド(約70億円)と、裕福な自治体に生まれ変わった。

それに加えて、島の沖合で大型の海底油田が見つかり、英国の石油会社などが4年後にも石油の生産を開始する予定だ。石油の開発権などの収入が入ってくると、自治政府の歳入はさらに現在の5倍に増えると試算されている。

これに対し、アルゼンチンは、フォークランドに立ち寄ったクルーズ船の寄港を拒否するなど、島と自国のアクセスを制限する措置に出ている。

1982年3月19日にアルゼンチンに近い南大西洋の英領フォークランドに「解体業者」を装った一部隊が、海軍輸送艦「バイア・ブエン・スセソ」で入国手続き一切を無視して、サウス・ジョージア島に上陸し、アルゼンチン国旗の掲揚などを行ったのが始まりだ。アルゼンチン軍は大奮戦し、英国の艦艇を多数撃沈するなどしてサッチャー首相を苦しめた。

戦闘は6月14日までの約3ヶ月続き、最終的にはアルゼンチン軍の降伏で終った。「西側」の国同士の近代兵器を使用した戦争として記憶されている。

フォークランドの旗にある羊の飼育はまさにこの島の主要産業。この平凡な島が再び厳しい武力衝突の場にならないことを祈りたい。

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