オーストラリアの共和制への移行と国旗②

いうまでもなく、オーストラリアは各国に独自の大使を派遣し、大使館を構えているように、堂々たる独立主権国家でありながら、“外国人”である英国のエリザベス二世を国家元首にしている。これに疑問を持ち、かつての「白豪主義」を捨て、多民族国家となったことから、女王を国家元首にしておく必要はないという声が強まっテきたことから、近年、共和制に変わるべきだという声が強まっている。


オーストラリアの国旗

1997年に時のジョン・ハワード首相が国民憲法会議を開くと表明し、共和制のあり方に関する議論が行われた。しかし、提案されたどの共和制モデルも同会議の過半数を得られず、この国民投票に付されたのであった。

このときに出された共和制モデルは概要以下のとおり。

  • 国家元首はPresidentとし、任期5年とする
  • 憲法で先住民の存在、法の下の平等、両性の平等などを定める
  • 国名は従来どおりAustrariaとする
  • 英連邦からの脱退はしない

投票の結果は54.87%がNoに投じ、この案は否決されたのだった。ただ、①賛否が僅差であること、②君主制そのものに対する支持や愛着問題さることながら、大統領の権限、三権分離のあり方(大統領の選出方法、大統領に権限が集中するのか、議院内閣制なのか)など国体のあり方についての意見の相違があったからだと見られている。
それとともに国旗のデザインの変更も議論された。その後の世論調査によると、共和制度のあり方についてかなり議論が成熟し、英国からの完全独立の主張に賛意を示す人が過半数を超えているという報道もある。

この問題はオーストラリアの根本的な問題であるだけに、ギラード首相としても軽々にリーダーシップを取りにくいテーマである。

オーストラリアの国旗は1901年の連邦成立直後に、公募に基づき決定した。3万件以上のアイデアが集まった中で5人の案が似たものだったので、今日では5人全員がオーストラリア国旗の発案者とされています。その中には当時14歳の中学生だったアイヴォー・エヴァンス(Ivor Evans)もいました。

オーストラリアについては、もうひとつややこしい問題がある。それは「いつ独立したか」ということだ。1948年まではオーストラリア国民は自動的にイギリス国籍を所有していたし、通貨が英国のポンドからドルになったのは1966年のことである。1975年までは、連邦最高法院の判決に不服な場合、英国の枢密院司法委員会に上訴することができた。したがって、明確な「独立記念日」はない。

共和制になったらということで寄せられた国旗のデザインにはこれまでのような南十字星を主体にしたデザインはもとより、コアラやカンガルーを取り込んだもの等、多種多様なアイデァがあり、今後、共和制への以降論議とともに、さまざまな案が出てくることかと思います。


これまでに提案された共和制になってからのオーストラリア国旗の案の一部

また、まだしばらく時間がかかりそうではあるが、オーストラリアが名実ともに独立国となった場合、隣接するニュージーランドの国旗をはじめ、もしかしたらさまざまな形で波紋が広がるかも知れないこともあり、今後も推移に注目したい。


ニュージーランドの国旗
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