国旗とバナナ②


フィジーの国旗

バナナには私にも思い出がある。

1971年12月、第3次印パ戦争が勃発したとき、私は国際赤十字駐在代表として、現在のバングラデシュ、当時の東パキスタンにいた。首都ダッカのカントンメント(広東麺にあらず。インド亜大陸英語で「駐屯地」のこと)がにわか作りの捕虜・避難民収容所となり、パキスタンの正規軍や民間人約9万人が入った。

終戦直後、救援物資として何が相応しく、何を市場で調達できるかを考え、バナナに思い至った。そこでさっそく市内のマーケットで大量のバナナを入手、トラックで次々に運び込んだ。栄養価があり、包丁なしで食べられる。こんな都合のいいものはない。

その様子がNHKの「特派員報告」という番組で数分間、取り上げられた。ディレクター氏曰く「黄色はテレビ映りがよくて助かるんです」。当時のカラーテレビは、その程度の技術力だった。もっとも、私にとっては、第3次印パ戦争(1971年12月)となって、「邦人1名行方不明」と複数の全国紙に出ていたらしく、続報がないこともあって、友人知人が結構、心配してくれており、バナナを配っている映像で安心してくれたようだった。

かくして、フィジーの国旗を見るたびに、バングラデシュでのことを思い出す。昨年はなんと30年ぶりに、拙著『血と泥と― バングラデシュ独立の悲劇』(読売新聞社)がNHKの海外放送を通じベンガル語で放送され、それを聴いたダッカの出版社が、「当時の生き証人だ」ということで、それを書籍にしてくれた。

いざとなったらバナナですよ。防災用にいかがですか?

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