紅葉は色さまざまでこそ – 日本人の審美眼


愛唱歌とっておきの話 – 歌い継ぎたい日本の心

紅 葉

高野辰之作詞
岡野貞一作曲

1.
秋の夕日に照る山紅葉
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓や蔦は
山のふもとの裾模様

2.
渓の流れに散り行く紅葉
波にゆられて離れて寄って
赤や黄色のいろ様々に
水の上にも織る錦

「山の紅葉」と「川の紅葉」を愛でる

この週末は2か月半ぶりに、東日本大震災の被災地・石巻市に向かいます。もう、かの地の紅葉は散り、また厳しい冬を迎える覚悟を固め、備えようとする季節でしょうか。

東京の紅葉も盛りを過ぎました。

一葉の赤いモミジ葉を大きく描いたカナダの国旗を見るとき、私はすぐこの唱歌を口ずさみます。そして日本各地の山を覆い、川に浮かぶ様子に出会い、感動した「赤や黄色のいろ様々」な紅葉を思い浮かべるのです。

高野辰之は碓氷峠の信越本線熊ノ平駅(横川と軽井沢の中間にあった小さな駅)付近から見た見事な秋の景色を『紅葉』の詩にしたと言われています。一番の歌詞で「山の紅葉」を、二番で「川の紅葉」を詠っています。

これは古来、日本人が紅葉を愛でる典型的な二つの鑑賞法です。「全山燃ゆる」「真っ赤な森」「平地の紅葉」「庭の紅葉」「一本の楓の木」「一枚の紅葉葉」といった美意識は伝統的にはほとんど皆無です。

少し古典にあたってみましょう。

紀貫之(?~945?)は『古今和歌集』の「仮名序」で、次ぎのように彼自身の、あるいは当時の日本人の美意識が「花と月」にあると述べています。

いにしへの代々の帝、春の花の朝、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々を召して、事につけ歌をたてまつらしめ給ふ。あるは花をそふとてたよりなきところにまどひ、あるは、月を思ふとてしるべなきやみにたどれる心こころを見給ひ、し、愚かなりと知ろしめしけむ。

さらに、紀貫之は和歌が発展したのは万葉の時代(奈良時代)であるとし、「紅葉」の美意識の原点に触れています。

かのに、柿本人麿なむ、歌のなりける。これは君も人も、身を合わせたりといふなるべし。秋の夕べ、龍田川に流るる紅葉をば、帝のには錦とみたまひ、春の朝、吉野の山桜は、人麿が心には雲かとのみなむおぼえける。また、山部赤人といふ人あり。歌にあやしく妙なりけり。人麿は赤人の上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。

古来、ここでいう帝は平城天皇(774~824、在位806~809)を指したものかといわれている。「花、月、紅葉」、万葉以来の「日本の美」であるといえるだろう。

日本女子大学の同窓会は桜楓会、日本人の伝統の美意識に深く根ざしているサクラとカエデを並べているのだから卒業生はさぞ…は余談。

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