内政と内戦で混乱するネパール – 国旗改定は未だ


ネパール国旗

ネパールでは2008年に王政が廃止され、国王を称える歌詞だった国歌は廃止されたが、王家と首相家を表していたはずの国旗は依然、これまでのものと変わらない。その一方、国内の対立はいよいよ混乱の度を増している。

そうした中で、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が10月8日、これまでの内戦での死者が1万7千人にもなり、処刑や拷問も9千件にもなっている、と発表した。

この数には非合法な処刑や拷問など、最大9000件に上る「人権や人道面で国際法違反と思われる事例」が含まれているとし、ネパール政府に実態調査を求めた。

時事通信の報道によれば「報告は、政府軍と旧反政府武装勢力・ネパール共産党毛沢東主義派(毛派)の双方による非合法な殺人、拷問、性的暴行といった人権侵害行為を調査。政府軍が2003年に毛派17人と市民2人を一列に並べ処刑した事件や、毛派が拘束した教師3人を殺害した例を挙げた」もので、内戦の死者はこれまで約1万3千人とされていたものをさらに上回っているのだそうだ。シリアの現状もそうだが、21世紀の悲劇的内戦の1つとしか言いようがない。

政府と毛派は2006年に包括的和平合意を達成、文書に署名し、新憲法制定に向けた取り組みが始まっているが、なかなか国内は安定に達しておらず、状況はさらに混沌として様相を呈している。

その上、犯罪行為の調査は行われず、OHCHRのピレイ弁務官は声明で「深刻な人権侵害に関わった人物は責任を問われていない上、恩赦を与えられようとしている」とネパール政府の対応を厳しく批判した模様だ。

混乱の始まりは2001年6月1日、ビレンドラ国王らが殺害され、ギャネンドラが王位についたとき。これでネパール情勢は一気に世界から注目された。ギャネンドラ国王は議会を停止。以後、国王・議会・マオイスト(毛派)三つ巴による混乱状態が続き、依然、新しい国家体制は出来ていない。

国内は政府支配地域と毛派の支配地域に分かれている。アメリカが国王派を支援して、武器や資金の提供をしたが、逆に、武装した農民がマオイストに合流するなどし、混乱に拍車をかける結果になっている。

こうした中で、2006年5月18日、議会が国歌の変更と政教分離(ヒンドゥー教の国教廃止)を満場一致で決定し、11月には政府と毛派も無期限停戦を誓う「包括和平協定」に調印し、翌年6月までに制憲議会選挙を実施することで合意し、2007年1月15日には下院が暫定憲法発布した。

さらに、1月23日、国連安保理、国連ネパール支援団(UNMIN)を設立する「安保理決議1740」を全会一致で採択、国軍と人民解放軍の停戦を監視することになった。

この年の12月27日、暫定議会は、ネパールの政体を連邦民主共和制とする暫定憲法改正案を承認したが、実際は国内が複雑に分裂したまま大きな変化は起きていない。

この後、2008年4月10日、制憲議会選挙が実施され、毛派が第1党となった。しかし、過半数は獲得できなかった。翌5月28日、ネパール制憲議会が招集され、新たな政体を連邦民主共和制と宣言して正式に王制が廃止され、この日を以ってギャネンドラ国王は退位した。

こうした場合、通常は、このときに1つの三角形が王を表徴しているこの国旗も変更されるのだが、国旗には手を付けないまま、7月に行われた決選投票で初代大統領にラムバラン・ヤーダブ(ネパール会議派)が選出された。

7月24日、ネパール外務省は在ネパールの各国外交団に国家の正式名称を”Federal Democratic Republic of Nepal”、略称を“Republic of Nepal”とするよう要請し、これに従い、日本政府もネパールの国号を「ネパール連邦民主共和国」と改めた。

2009年3月2日、統一毛派が145条からなる新憲法草案を発表した。ネパールは現在、この暫定憲法のもとで暫定政府が設けられている形である。しかし、この暫定憲法には国旗や国歌が明記されていない。


カトマンズ市内におけるネパール毛派の集会(2011年1月23日付KASAMA REPORTから転載)

この間、2010年12月11日、 元国王・ギャネンドラの長男であり、皇太子と呼ばれたことのあるパラスが泥酔の挙句、副首相スジャータ・コイララの娘メラニー・コイララ・ヨストの婿と口論の末、発砲したとの容疑で逮捕された。しかし、三日後の裁判開始を前に双方から発砲はなかったという発表が行われ、結局、うやむやになった。この一件は政治的混乱の中で王制復活への期待が出始めた矢先の出来事であり、これで王政復帰への芽は完全に消えたとされる。


首都カトマンズの「民主の壁」にはさまざまな旗が描かれているが、新しい国旗は憲法の制定とともに決定されるものと思われる。写真はウィキペディアによる。

世界で唯一の形をしたネパールの国旗の運命や如何に?

メニュー