似た国旗、違う国 – オランダとルクセンブルク


オランダの国旗

ルクセンブルクの国旗

ベネルックス3国と呼ばれるオランダ、ベルギー、ルクセンブルクですが、そのうちのオランダとルクセンブルクの国旗はよく似ています。青の濃淡で区別しますが、両国で別々に国旗を入手したら、濃淡が逆だったということもなしとしません。

オランダの国旗は16世紀後半、支配者スペインに対し、オラニエ公ウィレム(英語ではオレンジ公ウィリアム)らの指導の下に独立運動を起こしたころに由来します。

その時の軍服はオレンジと白と青の3色で、ウィレムもこの3色の旗を用いました。

三色はオラニエ家の紋章である〈青地に、オレンジ色の房紐で飾られた白い角笛〉に基づくものです。やがて、オレンジが赤に変えられていきました。それはオレンジ色が遠くからははっきりしない色であることや、染めても色が褪せやすいといった理由と、もともと絶対王政の国はなく市民色が強かったので、必ずしも公家の色に国民がこだわらない傾向があったからのようです。


ニューヨークはオランダ人が開いた街。昔はニューアムステルダムと呼ばれていた。

1928年から94年まで続いた南アフリカの国旗。オランダの国旗の中にイギリスの国旗のほか、オレンジ、トランスバール両オランダ系国の国旗が描かれている。両国はボーア戦争で英国に屈し、南アが1つの国になった。

16世紀末から17世紀にかけて、オランダは「太陽の沈むことなき国」だった時代でした。世界各地に貿易の拠点を持っていました。ですから、今もニューヨークの市の旗や1994年までに南アフリカ共和国の国旗はオランダ国旗影響が強く残っています。

それでも、19世紀の初めナポレオンによる支配を受け、その間、オランダ国旗は世界でもほとんど長崎の出島にのみに掲げられていただけということもあり、一時途絶えたような時代がありましたが、1813年に復活しました。

ウィーン会議の結果、オランダは今のベルギー領とともにオラニエ家による王国となり、国民は王家を慕ってオレンジ白青の旗を掲げる人たちもいれば、赤白青の旗を掲げる人たちもいました。江戸時代に出島に来航したオランダ船を描いたたくさんの絵画がありますが、そこに登場するオランダの国旗には赤の色に結構、ばらつきがあります。

下って、1937年、勅令により、国旗は赤白青の横三色旗と確定しましたが、今もって、オラニエ家に対する特別の思慕を持つ人々の間では、赤の代わりにオレンジを用いた旗が使われています。

一方、ルクセンブルクの国旗は「白と青の縞模様の地に描かれた赤いライオン」というルクセンブルグ公家の紋章に由来する国旗。

オランダの国旗とよく似ていますが、ルクセンブルクの青のほうがより明るい色調になっています。公家の紋章の起源は1235年ごろまでさかのぼることができます。

ヨーロッパの国々では18世紀の後半まで、このように紋章の色を使って三色旗を作り、これを略章にしたり旗にすることが多かったのです。

1787年のルクセンブルク市の法令でも白青赤の軍隊徽章にふれているし、1992年のレオポルド2世の即位の際には、少女たちが3色の飾帯をつけたといわれています。その後、ルクセンブルクは近隣諸国の共同統治を受けたこともありましたが、1839年に再び独立しました。

1944年になって、紋章学者マンションが、紋章学の原則にのっとって現在の国旗の色の組み合わせを発表し、翌年、政府がこれを公表したのです。

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