赤十字のマークはスイスの国旗から


スイスの国旗

赤十字の旗

キミたちは赤十字って知ってるでしょう?もしかしたら青少年赤十字(JRC)メンバーの人もいるかな。タディも子どものころ、そうだったんだよ。

赤十字をつくった人はスイス人のアンリ・デュナン(1828~1910)です。ですから、その誕生日である5月8日は「世界赤十字デイ」となっています。


創立者アンリ・デュナン

1859年6月24日、ソルフェリーのというところで、大きな戦争が行われました。イタリア地方はそれまで小さな国々に分れ、しかも、北のほうはオーストリア、中央部や南のほうはフランスやローマ法王(教皇=きょうこう)の領土でした。イタリア人が支配していたのは北西部とサルディニア島だけでした。

ヴィットリオ・エマヌエレ2世というサルディニア王が中心になって、何とか北部からオーストリアの勢力を追い払おうとしました。父王の果たせなかったことをなそうとしたのです。これを応援したのがフランスのナポレオン3世、あの大ナポイレオンの甥(おい)にあたる人です。このサルディニア・フランス連合軍とフランツ・ヨーゼフ皇帝のオーストリア軍が戦ったのです。たった1日の戦闘でしたが、4万もの人が死んだり大けがをしました。

その2日後、ナポレオン3世に面会し、アフリカでの農場経営について支援してもらおうと戦場の隣町カスティリオーネまで追いかけてきたのがデュナンでした。

しかし、デュナンがそこで見たのは、夥しい数の死傷兵だったのです。そこでデュナンは寝食をわすれ(寝たり食べたりする時間も惜しみ)、敵味方の区別なく、救助にあたったのです。

1862年になって、デュナンはその時の様子を詳しくかき、自分の考えを一冊の本にまとめました。『ソルフェリーノの記念(思い出)』と題するこの本は当時の人々に大きなショックを与えました。

それまで、ヨーロッパの主要部では40年余り、激しい戦さはありませんでしたが、この間に、武器は発達し、どの国も徴兵制(国民に兵になる義務を負わせる制度)を敷き、戦争は規模も激しさも大いに拡大されていたのです。

デュナンがこの本を通じて訴えたことが2つあります。第1は、戦争のないとき(平時)に戦争に備えて救助の組織をつくっておこう、第2は、やむなく戦争になったら(戦時)、負傷者を救護しやすいような取り決め(条約)をつくっておこう、というものでした。

第1の提案は、2年後、国際赤十字として実現し、第2の提案は3年後、ジュネーブ条約として身を結びました。国際的な救護組織をつくろうと、16か国の代表が集まった時、オランダの代表が提案して、この組織を呼びかけたデュナンの祖国であり、その発足に大きな支援を与えたスイスに敬意を表して、スイス国旗の色を逆にした旗を、この組織のシンボルにし、組織の名前にしよう、ということになり、赤十字のマークと組織の名前が決定したのです。

デュナンには1901年、第一回目のノーベル平和賞が贈られました。

当時は16の加盟国がいずれもキリスト教国でしたから十字の形でよかったのですが、イスラム教徒が大部分というトルコが加盟したいというときに、十字ではキリスト教の印象が強くてこまるということになり、今度はトルコの国旗の色を逆にして、赤新月(せきしんげつ)をマークとする赤新月社になりました。


トルコの国旗

赤新月旗
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