世界遺産と国旗① – ペルーのマチュ・ピチュ遺跡


現在のペルーの国旗

インカ帝国の国旗

今のペルーという国のあたりには15世紀のインカ帝国(首都は今のペルーのクスコ)はケチュア族が南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心につくった国。13世紀ころから各部族の統合が進み、いったんはばらばらになりかけましたが、1438年に国家としてされ、1533年にスペインのピサロ兄弟を中心とするにぼされる(コンキスタドール)まで続いたのです。一番んな時には、80のと1,600万人の人口を数えたとされています。

メキシコやグアテマラ周辺のアステカ文明、マヤ文明と対比する南米の文明と言われています。

世界として有名なマチュ・ピチュは、南アメリカ大陸のアンデス山脈の高い山の(標高2,430m)にある、インカ文明の遺跡です。


マチュ・ピチュ遺跡

「空中都市」「空中の」「インカの失われた都市」などと呼ばれて今では広く世界に知られています。この遺跡には3mずつ高くなる段々畑が40面もあり、全部で約3,000段の階段でつながっています。石づくりの建物は全部で約200もあります。

いまだに詳しいことがわからないまま多くのに包まれています。

遺跡を発見した人については2つのがあります。

アメリカの探検家ハイラム・ビンガムという説と、ペルーの農場主アグスティン・リサラガという説です。ビンガムは、古いインカ時代の道を調査していた時、1911年7月24日に山の上でこの遺跡を発見しました。

その後、3回のを行い、本や論文を次々に発表し、特に「失われたインカの都市」というはベスト・セラーになり、それがアメリカの有名な地理学の『ナショナル・ジオグラフィック』(1913年4月号)取り上げられ、有名になりました。さらに7年後に『マチュ・ピチュ:インカの』を刊行し、遺跡の写真と地図がされさらにくわしく紹介され、世界的な注目をびるようになりました。以後、太陽をめるたちがしたとか、女性たちがのためいけにえにされたといった話が広まってゆきました。

ビンガムはその後、アメリカで州知事になるなど政治家への道を進み、マチュ・ピチュというとビンガムというほど大いにある存在となりました。しかし、最近になり、マチュ・ピチュはそれ以前にペルーのクスコの農場主リサラガが、1902年7月14日に発見していたという、有力な新説が発表されました。

発見という言葉の正しい意味があいまいなことから来ているとも思われます。発見した人はそのことを本に書いたり、報告書を作ったりして国外を含めて広く発表しなくては、なかなか認められないということもあるようです。

次に紹介するカンボジアのアンコールワット遺跡についても同じことが言えそうです。

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