国旗で見る日米関係② – アメリカに渡った初期の日本人


メイフラワー号を描いた絵

アメリカ大陸には先祖が日本から渡ってきたとの伝説または信仰に近い話を信じている部族もいるようだが、確実な話では、聖天運丸で太平洋を渡った京・大坂の商人たちが最初ではなかろうか。

1610(慶長15)年、ルソン島から来航した船が、田中、山田助左衛門、朱座隆成ら20余人を乗せ、スペイン人ムニョスを送還するため、アカプルコ(現在のメキシコ共和国ゲレーロ州の港町)に寄港した。この船旅は前年、前フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がヌエバ・エスパーニャ副王領(現在のメキシコ)への帰途台風に遭い、上総国岩和田村(現在の千葉県御宿町)の海岸で座礁難破したことに由来する。地元民に救助された一行に、スペイン(エスパーニャ)との通商を企む徳川家康が、ウィリアム・アダムズに建造させたガレオン船を贈りヌエバ・エスパーニャ副王領へ送還したのだった。これが日本との始まりであった。

次いで、伊達藩が派遣した支倉常長(1571~1622)率いる総勢180人(日本人140人、スペイン人40人)がローマ法王庁に向かうため、1613(慶長)年、今のカリフォルニア州メンドシナ岬から同じくアカプルコに到達した。常長は遣欧使節の正使となり、エスパーニャ人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを副使とし、エスパーニャ経由でローマに赴くことになった。遣欧の目的は通商交渉とされているが、エスパーニャとの軍事同盟によって伊達政宗が倒幕を行おうとした説もある。

1612(慶長17)年、常長らはサン・セバスチャン号で浦賀より出航するも、暴風に遭い座礁・遭難、仙台へ戻り、石巻で建造したガレオン船サン・フアン・バウティスタ(イエス・キリストに洗礼を授けたヨハネのこと)号で翌1613年10月28日に月ノ浦(現在の宮城県石巻市牡鹿半島の入り江の1つ)を出帆した。


ローマで描かれた支倉常長の像

常長らの一行はアカプルコから陸路、大西洋岸のベラクルス(メキシコ共和国ベラクルス州)に移動、大西洋を渡り、コリア・デル・リオ(現スペイン王国アンダルシア州セビリア県)に上陸した。

このころ、すなわち17世紀の初頭、アメリカ大陸はどうなっていたか。私たちがまず思い浮かべる年号は1620年、メイフラワー号でピルグリム・ファーザーズがイギリス南西部のプリマスから、アメリカの、その後、マサチューセッツ州プリマスに渡った。乗客は102名、乗組員は25から30名だった。

メイフラワー号はその後のアメリカへの移住・植民地化のシンボルとなった。この船に乗っていた船客102名のうち、3分の1がイギリス国教会の迫害を受けた分離派に属し、信教の自由を求めて大西洋横断の途に就いたのだった。

聖天運丸、サン・フアン・バウティスタ号、そしてメイフラワー号、これらの船がどんな旗を掲げていたか、私は確かなことを知らない。どなたかご存じの方がおられれば、ご教示いただきたい。

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