日本軍が玉砕した島に立つ国旗 – 北マリアナ諸島最大のグアム島

「恥ずかしながら帰って参りました」
の流行語で一躍有名になった横井庄一軍曹(1915~ 1997)のことを覚えていますか?


応召時の横井庄一

28年ぶりに帰還した横井庄一

元日本兵である横井は太平洋戦争(大東亜戦争)終結から28年間も、ジャングルや自ら作った地下壕などで生活、軍命によりグアムに派遣されてから約28年後の1972(昭和47)年1月24日に、食料調達のため川でエビを採っていたところを現地の猟師に発見され、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した。

グアム島は1898年の米西戦争の勝利により、アメリカの領土になった。太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃)直後(5時間後)に攻撃を行い、1941年12月10日までに日本軍が攻撃してこれを奪い、「大宮島(だいきゅうとう)」と呼んでいた。グアムにおける戦闘は1日で終結し、死傷者の合計は日本側が戦死者1名・負傷者6名、アメリカ側が戦死者36もしくは50名、負傷者80名。捕虜となったアメリカ将兵は、大佐以下アメリカ人と地元住民あわせて650名であった。その後、開戦時に拘束されていた在留日本人数十名を救出している。

これに対し、2年半以上にわたって自軍の兵舎などが奪われるという軍事的な不名誉のままだった米軍は、激しい艦砲射撃とB29による空爆の後、1944年7月21日に上陸作戦を敢行した。物量に勝る2個師団55,000の米軍に対し、要塞に籠り、水際作戦を展開した18,500の日本軍も善戦した。特に、上陸初日、米軍の進軍はわずか180mでしかなかったと記録されている。 その後も激しい白兵戦を展開、日本軍のバンザイ突撃に苦戦しつつも米軍はかろうじて進撃を続けた。

日本軍は約3週間持ちこたえ、8月10日まで文字通り死守し、この日、組織的抵抗を止めた。しかし、島内各地でのゲリラ戦が続いたのだった。日本軍が無条件降伏したことが知らされていなかったため横井庄一軍曹ら数名の日本兵が終戦を知らずに戦闘を続け、さらにはジャングルに潜伏し続けていた。日本軍は死者18,000人、負傷者485人、対する米軍は死者3,000人、負傷者7,122人を強いられた。


上陸の8分後に星条旗を立てる米・海兵隊員。
この時の「星条旗」は1912年以来の48星の「星条旗」。

グアム準州の旗

グアム準州の紋章

戦後のグアムは一時の軍政を経て、次第に自治権を獲得、1968年以降は公選による知事が行政にあたるが、合衆国内での地位については現在に至るまで、さまざまな意見が出され、いわば未決着となっている。グアムの主産業は農業や近年の鮪漁などだが、年間100万人以上の観光客が訪れ、観光収入の9割以上が日本からの観光客によるもので、円もそのまま十分通用している。

観光のほか、東アジアの安全保障の要としての戦略的重要性は極めて高く、沖縄基地問題の将来とも密接に関係している。特に、ベトナム戦争当時、グアムから発進したB52長距離爆撃機による北ベトナムへの攻撃(北爆)は記憶に新しい。

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