東京オリンピック・女子競技には41カ国が不参加


ギリシャの国旗
オリンピックの開会式では常に最初に入場し、閉会式では3本国旗掲揚塔の右端に掲揚される。中央は開催国。左端は次期開催都市の国旗。

スイスの国旗
国内では正方形で用いられるが、国連やオリンピックでは他の国々と同様の縦横比にした。

1964年の東京オリンピックには94の国(地域)から6,229人の選手が参加したが、内、41カ国(地域)からは女子の選手が参加しなかった。

リベリア、リビア、モナコ、ニジェール、アルジェリア、ギアナ、カメルーン、ドミニカ共和国からは男子一人のみの参加だったが、多数が参加したアラブ連合(77人。エジプトとシリア)、パキスタン(47人)、ケニア(40人)、モロッコ(26人)、トルコ、ウルグアイ(ともに23人)、コロンビア(22人)でさえ、男子のみの参加であった。

意外に思える数字は、71人もが参加したスイスと20人が参加したオリンピック発祥の地ギリシャ(20人)。スイスは大賞典馬場馬術に女子1名が参加したのみで他の70人は全部男子。ギリシャからは女子選手の参加はゼロ。

スイスから女子選手が一人と言うのは、あるいは当時のスイスにおける女性の地位と関係があるかもしれない。スイスで女性に参政権が与えられたのは、なんと1993年のことである。東京オリンピック以降、独立した国のほとんどは最初から女性の参政権を認めているが、スイスのほかにリヒテンシュタインでは1984年に、バーレーンとオマーンでは2002年に、カタールでは2003年に、イラクとクウェートでは2005年に女性参政権が付与され、2007年の選挙から実施された。

なお、女性の参政権を認めていないか、条件付という国も若干ある。

  • ブルネイ 1959年に女性参政権が認められたが、1962年以降は男女とも選挙権が認められていない。
  • レバノン 女性のみ初等教育を受けた証明が必要。また、投票は男性には義務化されているが女性は任意である。
  • サウジアラビア 2009年に女性参政権が保証されたらしいが、実際の選挙権・被選挙権は今のところ認められていない。

ちなみに、日本では1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の反対で廃案に追い込まれた。そんな中での1932年のロス五輪への女子選手の参加であった。

第二次世界大戦後の1945年10月10日幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされた。

同年11月21日には、治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められ、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められ、翌46年4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、加藤シヅエさんら日本初の女性議員39名が誕生した。

話を戻そう。

ギリシャが東京五輪に女子選手を送ってこなかったことはもしかして、古代オリンピックと関係があるのかもしれない。こんな話も伝わっている。

古代オリンピックはギリシャ神話の主神ゼウスが男神であることから、オリュンピア祭は女人禁制であった。これは体操を行う際ギリシャ人が裸体となることが関係していたとも考えられる。ポリスの日常生活にかかせない体育競技場においては、男性であっても体操を行わず衣服をまとって入場することがはばかられたほどであった。ただし、戦車競走では御者ではなく馬の持ち主が表彰されたので、女性が二人表彰された例がある。

しかし、女子競技の部ともいうべきヘーライアという祭りが行われていた時代もある。これは名のとおり女神ヘーラーに捧げる祭りで、オリュンピア祭と重ならない年に行われていた女子のみの祭典となっている。競技は短距離走のみで、右胸をはだけた着衣で行われたと当時を伝える像から考えられている。

近代オリンピックは1886年のアテネ大会から始まった。この時は14ヶ国から280人が参加しただけだったが全部男子。ギリシャの選手がマラソンで優勝し、観客席から皇太子が飛び出して一緒に走ったという逸話もある。

1900年にパリで開催された第2回オリンピックには19カ国から1,066人が参加したが、内、12人が女子。女子のテニス競技シングルでシャーロット・クーパー(イギリス)が近代オリンピック女子初の優勝者になったと記録されている。

日本から女子選手が参加したのは1932年のロサンゼルス大会から。16人が参加した。続く1936年の年のベルリン大会には17人の女子が参加したが、競泳200m平泳ぎで前畑選手が見事、金メダルに輝いた。

まもなく始まるロンドン大会でも、マラソンをはじめとする陸上競技や体操競技での日本の女子選手の活躍を特に期待する。

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