リヒテンシュタイン訪問記

大学院時代の私の指導教授である松本馨早大教授は昭和初期のハイデルベルク大学留学時代、この国を訪ねてみようとして列車に乗ったそうです。
しかし、往復とも通過して果たせなかったという思い出をしばし語っておられました。
そこで、私は1982年、仲間とともにテレビ映像の撮影のためにしばらくスイス東部のアペンツェルン州にいた時、恩師の恨みを果たさんとばかり、レンタカーでリヒテンシュタインに向かいました。

しかし、いかんせん生来の粗忽者、師にならって?これまた通過するというお粗末。
いくらなんでも帰路、細心の注意で念願を成就できました。
そこで、まずは入国管理事務所へ。係官は、めったに使ったことがなさそうな古びたゴム印を引出しから出して、確かに入国したことを証明してくれました。
東洋から物好きな変な男がやって来たという感じの顔が忘れられません。
せっかく訪ねたリヒテンシュタインですが、特にすることもないので、イタリアン・レストランでスパゲッティを食べただけでスイスに戻ったのでした。

要は、そのくらい面積の小さい国だといいたいのです。
1866年の普墺戦争以来、非武装中立政策を続け、在外公館はスイスに大使館、欧州議会のあるストラスブールと国連本部のあるニューヨークに常駐代表部を設置しています。
1919年の合意に基づきスイスに外交の多くにつき利益代表を依嘱しています。
それでも、1975年にOSCE(欧州安保協力機構)に加入して以来、外交活動を活発化し、そのスイスに先んじて90年には国連加盟国となったのです。
翌年、EFTA(欧州自由貿易連合)に、95年にはWTO(世界貿易機関)への加盟も果たしています。
ところが、この国は、国連加盟国のうちチェコとスロバキア を承認していないのです。
リヒテンシュタインは第2次世界大戦までチェコスロバキア内に領地を持っていました。
しかし、戦後チェコスロバキアが自国内のドイツ系とハンガリー系住民の国籍を剥奪し、財産を没収するという措置(ベネシュ布告)を行ったことを違法とし、この問題が解決していないからなのです。
同様に、リヒテンシュタインへの対抗措置として、1993年1月“協議離婚(ビロ-ド離婚)”した、チェコとスロバキアの両国はともに同国を認めていません。

この小国、実は国旗の点でも、垂直掲示の場合には、公冠を90度回転したデザインの国旗を製作しなくてはならないという決まりがあるのです。
ハイチ国旗とデザインが同じだったため1936年のベルリン五輪で混乱し、翌年、リヒテンシュタインは公冠を付け加え、ハイチはいささか戦闘的な紋章を付けて区別するようにしました。

しかし、両国とも国内では濃紺と赤の横ニ色旗が大半です。

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