国旗のある風景19 – 2020年の東京オリンピック


東京オリンピック公式報告書より

もし、次回、2020年に、再び東京でオリンピック(五輪)が開催できたら、国旗をこう活用しよう、ああはできないかと、眠れぬ夜、老生は時々、妄想し、夜が白じむのを知ることさえあるのです。

1964年の東京五輪と1998年の長野五輪で「国旗担当専門職員」とか「式典アドヴァイザー」などとして、私は国旗の製作と掲揚を担当しました。東京大会では組織委で2年余り、長野でも2年間、有給で働きましたが、東京大会の頃は未だ早稲田の学部の学生でした。ですから、先週の出来事は忘れる昨今ですが、「ご幼少の砌」のことは鮮明に覚えているのです。このためロンドン五輪が近いせいでしょうか、ときどきメディアの取材を受けたり、TVで話したりしますが、それは当時、最年少職員(もちろん今でも最年少OB)であったものの責務かと思って協力しています。

それでも最近のTV制作局って酷いですよ。先週もいきなり電話で、「東京五輪の閉会式の選手入場がどうして各国選手が混じってしまったのか、10~15行くらいに書いて文面でおくってくれませんか」というのです。あの人たちは何様なのでしょうか? 即刻、お断りしました。

それはさておき、東京、札幌(ほとんど全部、東京大会の国旗で間に合いました)、長野のオリンピックでの国旗はすべてアナログで作りました。

すなわち、東京五輪では「原反染めの旗布を裁断して縫い合わせ」「紋章は「友禅染め」を原則とし、布地はすべてエクスラン・バンティング(ポリアクリルニトリル旗布)を使用しました。風合いの高級感、染色の確かさは世界に誇りうる日本ならではの製法であったと、今でも確信しています。

しかし、これからはデジタルの時代、インクジェットでの染付もずいぶん改良されました。

そう確信を持ったのは、実は、ツイ先だってのこと。

2011年8月5日に仙台市青年文化センターでステージ上に掲げるフランス三色旗と「日の丸」が出来上がってきたのです。名古屋の服部株式会社の製作したものです。

私にしてみれば、「全面吹き付け染め」ではたして、ムラができないか、特殊な布地で風合いが損なわれないか、製作費用はどうかなどいろいろ試してみたのでした。

会場で、お招きする被災者の方からは国旗の感想も聞いたし、自分でもしっかり見定めて来ました。

その後は、野外のしかるべき場所で耐用試験をして、退色、色の「泣き」(流出)、縫いつけの綻びなども調べたいと思います。

以前にも小欄で紹介しましたが、1964年の東京五輪の時には、古橋広之進さんが日本毛織のウール布地、体操の小野喬さんが東レのナイロン布地を熱心に売り込んできたのですが、国立競技場での耐用試験の結果、ウールは弱く、ナイロンは染めが泣いて、エクスランとなったのでした。以後、これが広く普及しています。

五輪での旗布や旗の製作は毎回、全く違います。布で言うなら、化学繊維の発達したアメリカはナイロン、羊毛の国オーストラリアはウールです。

古くは、1936年のベルリン五輪、ヒトラーは鼻高々に人絹(レーヨン)のハーケンクロイツを膨大な数掲げて、会場はおろか世界を傘下に置いたような気分になったはずです。当時の科学の最先端を行くのがこの人造繊維だったのですから。

わが国でもその後、東洋レーヨン(現・東レ)、帝国人絹(現・テイジン)といった大企業が化学繊維に取り組み、大きな飛躍を遂げ、今日にまでその名を残しています。

ベルリン五輪での記録映画をみても、あのキラキラしたはためきには圧倒される思いがします。

しかし、おそらくは早ければ一晩か二晩で裾がほころび、布が切れたに違いありません。

さてはて、次回、2020年の東京五輪、国旗の専門家として、かつ何度も国旗製作の大事な場面に関わってきた者として、国旗の新しい活用法を考えながら、健康に気を付けて長生きせずにはいられない思いです。

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