ボリビアの国旗、州は9つでも星は10

4番目救出された作業員は唯一のボリビア出身者であるあC・ママニさん。
これまた自国の小旗を胸に、生還の感激を表していました。
隣国から出稼ぎに来ていたのですが、実は、チリとボリビアは国交がないのです。
しかし、この非常事態に、ボリビアのモラレス大統領が特別に招かれ、救出に立ち会いました。

ボリビアは南米解放の英雄シモン・ボリバルの名から国名を採ったのですが、独立以来、周辺各国と戦争を続け、そのことごとくに破れ、国土を最盛時の数分の1にし、ついに内陸国となったという国です。
この国の難しさはアンデスの高地に多民族で国を構成していることでしょう。
正式な国名はボリビア多民族共和国 スペイン語で Estado Plurinacional de Bolivia といいます。
モラレス大統領はインディオの一人です。

ところで、このボリビアの国旗、赤は兵士の勇気、黄色は豊かな鉱物資源、そして緑は肥沃な国土を表しているのですが、紋章の星がつい最近までは9つだったのです。
ボリビアの現在の州の数です。
それまでは10個の星のものもあれば、9個というのもありました。

奥山弥生さんという、青年海外協力隊の看護隊員としてこの国と深い縁を持っている若い仲間がいます。
この、私の埼玉県立大学時代の教え子は、現地では「正式には9個、希望的には10個の星にしている」と報告してくれたほどでした。
救出された時ママニさんを包んだ国旗には、なんと10個の星が付いていました。

実はこの星、2004年7月19日に発効したDecreto 27630によって「diez estrellas de cinco puntas en oro(10の金色の五稜星)」とされて、正式に1個増えて10個になっていたのです。
それにはこんな歴史があります。

ボリビアはぺルーと組んで、チリと「(南米の)太平洋戦争」を戦い、破れて、太平洋岸のアントファガスタ州を失ったため、州が9つになってしまったのです。
すなわち、1879年から84年にかけて、硝石の産出地を巡っての戦争があったのです。
当時、ボリビアの国土は太平洋岸に達しており、今のような内陸国ではありませんでした。
当初は陸上の戦闘で善戦しましたが、海戦で敗れたのです。
長い海岸線を持つチリはイギリスの軍事指導を受け海軍を整備していたのですが、ボリビアは国内の混乱のため海軍をないがしろにしていたので、海戦はもっぱらペルー海軍が受け持ちました。
その結果、79年5月21日のイキケの、そして10月8日のアンガモスの海戦で完敗したペルー海軍は壊滅したのです。

翌80年6月にはペルー領のアリカとタクナがチリ軍に占領され、10月にはチリ軍は南部のピスコへ上陸し、イカを占領しました。
ペルー軍は激しく抵抗したのですが及ばず、翌81年1月には25,000人のチリ部隊が首都リマの市内へと進攻したのです。
ペルー軍はアンデス山中に逃げ込み抵抗を続けましたが及ばず、83年10月20日にアンコンで講和条約が結ばれました。
翌84年4月4日、ボリビアもバルパライソで休戦協定を結び、1904年4月に講和条約を締結しました。

この戦争で、チリはペルーからタラパカ州とアリカ州を、ボリビアからはアントファガスタ州など海岸沿いの領土の割譲を受け、チリはこれらの鉱物の豊かな地域の開発でその後、経済成長を果たし、南米主要国の1つとみなされるまでになったのです。
今回の落盤事故のあった少し北側にあるのがアントファガスタ州です。

当時、チリがスペイン系のクリオーリョとよばれる植民地人が主体だったのがこの戦争でチリの勝因となった言われています。
ペルーとボリビアでは、インディオや混血のメスティーソが多く、スペイン系は10数%に過ぎないという社会構成の違いが、政治の遂行や軍の作戦運用上、さまざまな支障に繋がったというのです。

太平洋へ接する領土を失ったボリビアは内陸国となりましたが、いつの日かの失地奪還を夢見ています。
このため、現在でも海軍(主力は海兵隊)を保有しており、主にティティカカ湖を中心にアマゾン川やペルーの施設を借用して大西洋に展開しています。

余談ですが、内陸国ではオーストリアが長い間(1919年のベルサイユ条約締結まで)海軍を持っていました。
『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ大佐は、最後のオーストリア海軍の軍人だったのです。
オーストリアには今ではドナウ川の警備に当たっている水上警備隊があるのみですから、ボリビアは唯一の海軍を持つ内陸国といえましょう。

ボリビア東部・アマゾン川につながる大きな河川で、密輸や麻薬取引の防止にあたっているほか、約3800mと、世界で最も標高の高い航行可能な湖であるチチカカ湖でも警備活動や訓練を実施しています。
兵員数は3,500名ほど、内半数近くが海兵隊に所属しています。保有艦は60隻以上にのぼる各種哨戒艇ですが、アルゼンチンやウルグアイの軍港を借り、遠洋航海用のリベルタドール・ボリバル級輸送艦を所有しての訓練も行っています。

ペルーのフジモリ大統領時代には往時の両国の協力関係を思い起こさせるような軍港やそこに至る回廊の提供も図られましたが、今では、頓挫しています。

ボリビアはまた、チリとの軋轢から天然ガスの輸出用パイプラインをアルゼンチンの国内を通過して、はるか大西洋岸に伸ばしているのです。


国旗中央の国章

国旗を見てみましょう。
特に中央の国章です。
大砲、マスケット銃、インディオの斧、月桂樹の枝、アンデス・コンドルなどが描かれています。
枠の内側にはかつては世界一の銀山のあったポトシ山が描写され、その上部には日が昇り、アルパカが立っています。
山と平野のコントラストはボリビアの地理を表しています。
アルパカは国獣です。マスケット銃の隣には斧と赤い「フリギア帽」があり、それらは解放もしくは自由を象徴しています。
月桂樹は平和の象徴であり、コンドルがシールドの上に止まっているのは国家と自由を防衛する意思を象徴しているとされています。

問題は下の星です。中央のシールドの枠の下部にある10の星は、現在の9つの県と、1879年にチリに占領された沿岸部の地域(リトラール)を象徴しているのです。

チリでの落盤事故が、ボリビアとの関係改善に向うきっかけになるかもしれません。

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