ペルー国旗物語① – 国章の動物はビクーニャ

ペルーの国章と国旗。国章上部のリースは月桂樹と椰子、動物はビクーニャ、樹木はキナの木、豊饒角からは金貨が。この3つで、動植鉱物の3つ(三界)の豊かさを代表させています。

南米ペルーの国旗は、赤白赤の縦三色旗。市民はその旗を使うのが普通ですが、中央に国章の付いたものが正式な国旗として、国連、オリンピック、そして在外公館などの政府関連施設などで掲揚されています。

1964年の東京五輪の場合も、ペルーのNOC(オリンピック委員会)に照合して紋章付きの国旗を使用することを確認しました。

ところで、その紋章ですが、動物、植物、鉱物の三界を表わすとして、ビクーニャ、キナの木、そして豊饒角から溢れ出る金貨がメインに描かれているものです。

しかし、私自身、その動物がllama(ラマ、リャマ、ヤマ)なのか、alpacaアルパカなのか、vicugnaビクーニャなのか、長年、はっきりしていませんでした。今回、ペルー側から正式な文書を入手することが出来ました。

貴重な文献ですので、全訳をお願いしましたので、ここに掲載いたします。

学生時代から恩師。橋本祐子(さちこ)先生の門下生仲間の郷農彬子バイリンガルグループ代表と、スペインで医学を履修した染川真穂さんのご厚意で正確に翻訳していただくことが出来、詳細がわかりましたので、小欄でご紹介します。

国章 ― 独立国家ペルーの初期の国章

ペルーの初期の国章はホセ・デ・サンマルティン将軍がペルーの独立国家としての国旗を制定したときに成立したものである。1820年10月21日にピスコのペルー解放軍総司令部でこう述べられている:「独立国としてのペルーは抑圧期のシンボルを引き続き使うことは出来ない。よってここにペルー初の国旗を制定する。長円形の月桂樹の冠の中には平らかな海、高峻な山脈の背後から昇る太陽。国章は描いても縫ってもよいが各部分の色は変えてはならない。月桂樹の冠は緑、そして下部には金色の紐が月桂樹の枝を結う。上部は天空を表す青色。太陽と光は黄色。山脈は焦げ茶色、そして海は緑がかった青色。これはペルー人民が自由に選択した政府が成立するまでのものとする。」
(1821年8月25日土曜日、自由リマ官報、14番)

現在のペルーの国章(第二国章)

グレゴリオ・パレデス大統領の統括するペルー憲法制定会議が1825年2月25日の法律によって新しいペルーの国章を制定した:「国家を象徴する国章が必要であるとし、次のように定める。ペルーの国章は三分割の盾となり、右には明るい青の地に内側に向いているビクーニャ、左には白の地にキヌアの木、そして小さめの下部には豊穣の角から溢れだす金貨を描く。この三つのシンボルはペルーの三界(動物、植物、鉱物)の豊かさの象徴である。盾の上には平面な市民冠、そして両脇にはペルーの国旗と横断幕が描かれる。
(1825年3月10日木曜日の官報。22番、7冊目)

ペルー大統領アウグスト・レギアが1922年12月11日、官邸にて国旗、並びに国章の使用法を1825年2月25日の法令を元に制定する。
(E.コスタ・イ・カベロ『ペルーの旗と紋章』、1921年リマ。31ページ)

暫定軍事政権・マヌエル・A.・オドリア大将が1950年3月31日、リマの官邸にて国章、国家印章、国旗、船旗、横断幕、円形章の制作法、並びに使用法を11323の法令にて発布する。この法令によって国家の全てのシンボルの色、形、また構成要素の均一性を1825年2月25日の法令を元に確定する:国家印章に描かれる国章は必ず完全な形で用いる。これは冠、そしての両脇にはペルーの国旗と横断幕を描くことを意味し、月桂樹と椰子の葉の使用は廃止する。この令は官邸で用いられる国章を除く。官邸の国章では右に椰子の葉、左に月桂樹の樹枝が描かれ下部で絡み合い、国章を囲む。盾の比率は高さ4に対し、幅3とする。高さを二分する横線で上部と下部を分けて描く。

シモン・ボリバル、並びに憲法制定会議が1825年2月25日の法律によって新しいペルーの国章を制定した。ホセ・グレゴリオ・パレデス氏とフランシスコ・ハビエル・コルテスが確定した新しい国章は三部に分かれており、ペルーの三界の豊かさの象徴である。その左部には明るい青の地に内側に向いているビクーニャ、右には白の地にキヌア(キナ)の木、そしてこの二つは小さめの下部から分かれており、赤地の下部には豊穣角から溢れだす金貨を描く。また、半開にした(植物の枝が、完全に広がっているのではなく、半開きの状態であることを示しています)市民冠が描かれ、両脇にはペルーの国旗と横断幕が描かれる。

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