国旗のない風景② – 韓国で出会った万国旗

2010年の夏、択捉島で「日の丸のない万国旗」を見たとき、私の脳裏には1960年代後半の韓国でのことがよみがえりました。65年8月(日韓国交回復の直前)に初めて韓国を訪問した私は、どこにも「日の丸」を見ることはありませんでした。

日韓基本条約で国交を回復し、ソウル市庁前の名門・ホテルの5階に、日本大使館が開設されました。ところがその窓に翻っている「日の丸」を引き降ろそうと壁面を登っていた男が落下するという「事件」もありました。

その後の7年間は頻繁にソウルを訪れました。しかし、万国旗があっても「日の丸」だけがないという状態がしばらく続きました。まず、67年には、ホテルの中で「日の丸」を見ました。

街の中でも万国旗の中に「日の丸」が頻繁に見られるようになったのは、1970年に入ってからのことでした。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の日本との協力を基礎とする経済運営で、「の奇跡」がスタートしたのです。2010年は日韓併合から満100年にあたります。満35年にわたる朝鮮半島の人たちの民族的苦痛を省みつつも、北方領土で、40余年前の「日の丸」のない万国旗の寂しさと屈辱を思い出しました。

日本人と韓国人との真の善隣友好関係は私たちの世代で達成しなくてはなりません。私は今年の10月末、数年ぶりに韓国に参ります。それは「在日韓国人のための老人ホームをつくる会」の理事として、尹千鶴子(高知県出身)生誕100年を祝う会に参加するためですが、日韓友好のために尽くした、こうした先人のご苦労(映画「愛の黙示録」に集約)を私たちはもっと大事にすべきだと考えます。千鶴子は戦後も韓国の木浦(モッポ)で、何千人もの孤児のお世話をされ、韓国最初の文化勲章を授与された人です。


韓国の国旗

韓国で「日の丸」が各国旗と同じように扱われるようになったのは、おそらく「88年オリンピック」(パルパル五輪=ソウル五輪)以降ではないでしょうか。金浦(キンポ)空港の前の広場には、全国連加盟国の国旗が林立しています。そこにある「日の丸」を私はいつも感慨深く、日韓関係の健全な発展を祈りつつ眺めるのです。

どなたかが韓国での「日の丸」の写真を送って下さるなら、小欄で是非、掲載させていただきたく存じます。


川崎市・川崎駅前の文化会館に並ぶ万国旗。
ここには韓国旗「太極旗(テグキ)」はなかったですが、それは奥に意図的なものとは思えませんでした。2011年9月撮影。
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