朝日新聞の国歌「君が代」論

私は国歌の専門家ではありません。ですから、以下は、素人の書生論と思って、国旗の話の付録としてお読みください。

「君が代」については、日本国憲法で日本と日本国民統合の象徴と規定されている天皇、すなわち日本国が永遠に続いてほしいというのは当然であり、これの反対する人は日本国憲法に反対されるのかなと、ナイーブに、または純朴に思ってしまうのです。

君が代

「君が代」の楽譜(国旗及び国歌に関する法律による)

そんな気持ちでいるところに、たまたま朝日新聞の昔の記事が飛び込んできました。

1952(昭和27)年5月13日付の<今日の問題 「君が代と礼儀」>です。

11日行われた鎌倉八幡宮の「やぶさめ」は、長い馬場をトンネルのようにおおうている木々の緑が、その下を埋める日米観衆の明るい服装に照りそい、その間をきらびやかな狩衣の騎手が馬を飛ばして矢を射る、と言ういかにも5月らしい壮快な催しであった。

特に独立回復後最初の本年の行事で、アメリカ側からも参加があり 横須賀基地からは軍楽隊もやってくるほどの盛況で、源氏の氏神であった八幡様が、ヘキ眼のサムライ達をどう照覧あったかはいざ知らず、日米両国の市民達はともに午後のひと時を「やぶさめ」に興じた物である。

定刻と同時に、八幡神社前にあった米軍軍楽隊は「君が代」を奏した。米国軍人はすべて挙手の礼、その家族達も、はやる子供達をおさえて直立不動のまま「君が代」に敬意を払った。

ところがどうであろう。当の日本側の観衆は、ただ物珍しげに軍楽隊や米人側の敬礼を見ているばかり。子供達は軍楽隊の周囲を群れをなして歩き回った。

一昨年の夏、日米対抗水泳大会の時も国旗掲揚に対するアメリカ側の厳粛な態度に引きくらべて、日本人観衆のだらしなさが批判されたことがあった。あのころはまだ占領下だったからと言うわけもあったかもしれないが、もう日本は独立した国である。いつまでもこんな態度でよいわけではない。

「君が代」のよしあしについては、いろいろ議論もあるようだ。しかし「君が代」 が国歌とされ、又各学校も文部省の勧告に従って祝祭日に歌うことになっているとすれば、国歌というものがどんな意味を持っているものか、従って「君が代」にたいする礼儀についても知らなければならない。学校でもこれを教えておいてもらいたい。「君が代」は歌うばかりが、そのすべてではないのである。

国旗国歌法の国会審議で私は衆議院内閣委員会で公述しましたが、その過程で過去の記事を読んでいた限り、朝日新聞はこうした論調とは対極にあるように思います。しかし、日本国憲法も、国旗も、国歌もこの間に、何の社会的、法的、慣習的…立場が変わらなかったのですから、新聞社の社論というのはあまりあてにしないほうがいいのかな、とこれまた素朴に思った次第でした。

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