窪田空穂が詠んだ「日の丸」の歌②


窪田空穂

窪田空穂の署名もある「熊谷直孝君」出征時の日章旗

窪田空穂の短歌に戻りましょう。まずは、昭和18(1943)年秋の学徒出陣のときの歌です。空穂は早稲田大学から多くの教え子を戦場に送ったのでした。

教室に集い満てるは命ありて にはかに兵とならむ学徒ら
若き学徒兵となりゆくさま見れば あるにあられず老いたる我も
かよわきを憐れめる子の茂二郎 兵となるべき令の下れり

歌集『茜雲』より「兵となる学徒」 1943年

そして早稲田大学のキャンパスには次第に学生がいなくなりました。

学徒みな兵となりたり 歩み入る広き校舎に立つ音あらず

歌集『冬木原』より「早稲田学園」 1944年

やがて敗戦。2年後の6月、シベリアに抑留されていた「かよわきを憐れ」んだ次男・茂二郎がイルクーツクで病死したという報せが届いたのです。

茂二郎を悼んで詠んだ「捕虜の死」(『冬木原』収録)という非常に名高い史上最大の長歌があります。

「シベリヤの涯なき曠野イルクーツクチェレンホーボのバイカル湖越えたるあなた」と詠い出し、「むごきかなあはれむごきかなかはゆき吾子」と締めくくるという、胸が締め付けられるほど切ない歌です。

訃報から半年後の1948年の正月、空穂は

大き息つかるる今日か わが国旗かかげはかぬる時過ぎしなり

歌集『冬木原』より「歳首」

と詠んでいます。思いはいかばかりであったのでしょう。そして、それから3年目の正月、

日章旗立ちつづきたる町ゆけば みな隣人の家のごと見ゆ

歌集『卓状の灯』より「年のはじめに」

と詠み、やや違った心境に至ったことを示しているようです。

さらに、昭和28年(1953)にもなると、「日章旗」と題してこう詠みました。この前年4月、日本の占領時代は終わりました。

日章旗門にかかげて珍らしみ 見たるこころは人にはいえず
真紅の日純白の地に いさぎよきわれらが国旗はたはたと鳴れ

小欄は今、空穂のその歳に達し、戦中戦後の苦難を乗り越え、素直に物心両面の復興を喜び詠う、この歌人に共鳴しています。それにしても、国際化が急速に進捗する21世紀、「日の丸」の旗はめったに見ることがなくなりました。今なら、空穂はどんな歌を詠むのでしょうか。

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