窪田空穂が詠んだ「日の丸」の歌①


窪田空穂と家族。
学生服は後に歌人となった章一郎、スーツ姿が茂二郎。
1935年頃の撮影か。

歌人にして早稲田大学文学部教授だった窪田空穂(1877~1967)の短歌を見ながら、「日の丸」について考えてみましょう。この人の戦前、戦中、戦後の歌で、この世代の人たちの「日の丸」への思いを伝えたいのです。

この歌人が詠んだ歌で「日の丸」についてのものは、「日の丸」の国旗掲揚が日本中で生活化していたはずの戦前には1933(昭和8)年に今上陛下が昭和天皇初の男のお子様としてご誕生になられたときのこの一首しか見当たりませんでした。

サイレンの鳴るや即ち軒毎に国旗ひらめく此の朝(あした)かも

『昭和萬葉集』には空穂のほか、向田文子の

九千万の民一人とかしこみて日の丸の旗門にかかげつ

と折本左衛介の

朝づく日きらふ霜どけの村の辻より旗行列の先頭あらはれにけり

が紹介されています。当時の人たちの喜ぶ様子が適確に読み込まれている歌と拝読しました。

ところで、かつて、福田赳夫元首相が「20世紀は栄光と悔恨の時代である」と言ったことがあります。戦後67年、今振り返って「日の丸」も同じかなと、この問いに思います。

戦後最も著名な評論家というか社会派毒舌評論家とでもいうべき大宅壮一(1900~70)には何度もお目にかかる機会があり、いつも大いに啓発されました。60年代の初め、御一緒したフジテレビの番組の収録を前に控室でこんな話を聞きました。

「終戦までの日本は国旗中毒、戦後は国旗冷感症だ。軍国主義と日の丸を共同正犯のように扱うのはおかしい」
これも栄光と悔恨かもしれません。

また、読売新聞の記者だった伊本俊二は『国旗 日の丸』で「人間でいえば長い人生のうち、ある日、ある時に、他人に利用されて失敗してしまったことを(あげつらねて)、一生、極悪人として決めつけるようなもので、短絡な思想です」「日の丸の歴史の数年だけを取り出して“軍国主義”と結び付けるのは酷ではないでしょうか」と述べています。
小欄も全く同感です。

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