右か左か – ドミニカ国とベネズエラの右往左往②


1954~2006年までのベネズエラの国旗と国章。
星が7つ(現在の国旗は8つ)。紋章の馬の向きが反対。

2006年、チャペス大統領は馬の向きと星の数を変えた。

ベネズエラの国旗は1806年、最初にスペインからの独立を提唱して反乱を企てたたフランコ・デ・ミランダ将軍(1750~1816)の発想から出たものです。1810年、カラカス市参事会がスペインのベネズエラ総督を追放、翌11年にはシモン・ボリーバル(1783~1830)とミランダらがベネズエラ第一共和国を樹立しました。しかし、王党派の反対と市の2/3が崩壊したと伝えられるカラカスを襲った大地震によって混乱し、共和国は崩壊し、ミランダはその後捕えられ1812年、獄死しました。

それでもボリーバルは不屈の意志で独立闘争を展開し、1816年には亡命先のジャマイカから『ジャマイカ書簡』を発表し、不撓不屈の精神で1823年ベネズエラの独立を導いたのでした。

2006年9月21日の朝日新聞によれば、20日、国連総会一般討論でベネズエラのチャベス大統領が登壇し、ブッシュ大統領を名指して8回も「悪魔」と呼ぶ、国連史上例のない激しい演説をしました。

チャベス大統領は、前日ブッシュ大統領が同じ演台から演説したことを念頭に「悪魔が昨日ここにきた。まだこの演台は、地獄のにおいがする」と述べてから、十字を切り、両手を合わせて天を見上げるなどパフォーマンスを披露。演台を示しながら「ここで、私が悪魔と呼ぶ米国大統領が、世界を所有しているかのような演説をした。精神科医に分析してもらうべきだ」とこき下ろしました。

ベネズエラという国は南米大陸最北部にある産油国として知られていますが、この国のウゴ・チャベス大統領は、各地の産油国との連携を強め、イランを訪問したり、モスクワと密接な提携をしたり、アメリカにとって目の上のたんこぶのようなキューバのカストロと手を結んだり、この演説のように派手に「反米」的な行動や発言を続けて、世界から警戒されたり、注目されたりしています。中国との関係強化でも独自の外交色を打ち出しています。

ベネズエラの国名は、イタリアのヴェネツィアに由来します。1499年この地を訪れたスペイン人の探検者アロンソ・デ・オヘダとアメリゴ・ベスプッチが、マラカイボ湖畔に並び建つインディオたちの水上ハウス群を水の都ヴェネツィアに見立て、「小さなべネツィア」と命名したことによります。スペイン語の「ve」は、日本語表記では「ヴェ」より「べ」に近い発音ですので、ここは「小さなベネツィア」と記載しました。


南米解放の指導者シモン・ボリーバル

フランシスコ・デ・ミランダ

1999年の新憲法で、正式な国名は「ベネズエラ共和国」から「ベネズエラ・ボリーバル共和国」となりました。いうまでもなくボリーバルは、今日ベネズエラの首都であるカラカスの名門生まれで、独立運動の指導者となったシモン・ボリーバルのこと。品川区上大崎のコロンビア大使館の門前には、そのボリーバルの胸像が立っている。両国は、エクアドルとともに、19世紀の初め「グラン・コロンビア」として独立し、ボリーバルはその初代大統領となったばかりではなく、ぺるー、ボリビアを含むアンデス5カ国をスペインからの独立に導いたのでした。

話を現代に戻しましょう。

チャベス大統領は98年12月の大統領選挙で、独立系の第五共和国運動を率いて当選しましたが、もとはといえば、92年のクーデター未遂事件の首謀者。翌年2月に就任した同大統領は、過去40年間の二大政党幹部による政治や司法の私物化と極端な汚職体質が原因であるとし、抜本的な政治改革を開始しました。その第一弾として、同年12月に新憲法を発効させ、その憲法による2000年7月の「メガ選挙(大統領、国会議員、州知事の同日選挙)」を実施し、自ら59.1%の得票を得て、任期の6年への延長、副大統領の指名権の取得などを果たし、大統領の地位を強化しました。

大統領のこうした政治運営に対し、野党、財界、労組、マスコミ、教会が対立色を深め、2002年4月には、全国規模のストや反政府デモが行なわれました。また、軍がチャベス大統領の辞任を要求し、一時混乱しましたが、チャベスはその僅か2日後に大統領職に復帰しました。

しかし、その後も反政府運動が続き、国内対立は次第に先鋭化して行き、これを受けて、米州機構(OAS)や南北米州の友好国やスペイン、ポルトガルなどが仲介の労をとり、2004年8月、大統領罷免の可否を問う国民投票が実施されました。しかし、その結果、チャベス大統領は58%対42%で罷免を免れ、任期は2007年1月10日までとなったのでした。

こうした政治状況を背景に、2006年3月7日にベネズエラ国会で新しい国旗のデザインが承認されました。

日本の外務省によると、その際に、現地で以下の報道がありました。

3月7日、国旗及び紋章に関する法改正が国会で承認された。これにより国旗のデザインとして、8つ目の星が加えられるほか、紋章の馬も右向きから左向きへと変更される。なお、現行法は1954年2月17日に制定された。今次国会承認により、法律の名称も「ベネズエラ・ボリーバル共和国国旗・国歌・紋章法」へと変更される。

同法改正は昨年11月にチャベス大統領により提案された。チャベス大統領は、紋章の馬に関し、「急に立ち止まらされ、振り向かされている。これはベネズエラの馬ではなく、帝国の馬である」と述べ、この馬が主体性を持たないと指摘しており、前向きで解き放たれたものへの変更を主張した。

国旗の星に関しては、1811年の独立宣言時の7州を象徴する7つの星に、1817年の独立戦争終結時までに統合された現在ガイアナの支配下にある地域(グアヤナ・エキセバ=アマソナス、ボリーバル及びデルタ・アマクロの3州)を含めるべく、シモン・ボリーバルが8番目の星導入を主張したという歴史的経緯に基づくものである。両者は19世紀から領土問題を抱えている。

世界各国の国旗は、政治情勢を反映して変わることがありますが、アフリカや中東諸国と違って、中南米は比較的そうした原因での変更がない地域です。かのキューバのカストロ首相さえ、国旗の変更は行なっていません。

当時のブッシュ大統領に問題ありという発言には私も同感するところ少なからずですが、チャベス大統領にはこの演説以外にもハラハラさせられることが多いのです。健康を維持し、バランス感覚を保ちつつ、真の改革者であり続けることを期待したいものです。

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