日枝神社「山王祭り」の諌鼓鳥から連想する赤道ギニアの国旗

「古事記」に登場し、太田道灌が「江戸の守り」として造営し、今では都心にある「皇城の守り」として、国会議員や芸能人に特別多く参詣されている日枝神社(千代田区永田町)。孫の宮参りで私も先般、参詣致しました。


日枝神社「山王祭り」の輦の上には諌鼓鳥が置かれている。

そこで一番目立ったのは、来たる6月15日にピークを迎える「山王祭」の準備の様子。中でも、狩衣・直垂・黄衣・白丁等の装束に威儀をただした氏子総代・氏子青年約500人の奉仕による都心の行列。午前8時本社(やしろ)を御発輦(ごはつれん)、千代田区の氏子各町を巡幸、途中、国立劇場、皇居坂下門で駐輦祭を、日本橋摂社で御旅所祭を執り行い、都民の平安と繁栄を祈りつつ午後5時半本社に還御するというものです。21世紀であることを忘れさせる優雅で格調高い神幸祭の行列は見ものです。江戸時代には、時の将軍が自ら奉迎せられたと伝わっています。

その輦のてっぺんに鎮座ましましているのが諌鼓鳥(かんこどり)。姿形は雄鶏、閑古鳥ではカッコウですから、誤解なきよう。


1968年の独立以来の赤道ギニアの国旗

中央の国章拡大図

1973~79年の国旗の中央にはニワトリと農機具、工具、小型武器など。
そして今の国章にある3つの標語の上に「TRABAJO(労働)」と書いたリボンがついていました。
いかにも「親ソ」的な紋章だったといえましょう。

ところで、国旗にニワトリというのは1つだけ。1968年にスペインから独立した赤道ギニアの、1973~79年の国旗。現在の国旗は独立以来のものですが、この間だけは中央の紋章が上部にニワトリを描いたものでした。

現在の国旗の青は海を、緑は農業を、白は平和を、赤は独立のために流された血を表しています。紋章には神木とされているパンヤの木とスペイン語で「UNIDAD(団結) 平和(PAZ) JUSTIA(正義)」と書いた白いリボンがあります。 6つの星は赤道直下のギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島、および大陸部のリオ・ムニ(ムビニ)とエロベイ・グランデ島及びエロベイ・チコ島を併せたエロベイ諸島の6地区を表す6稜星が6つです。

この国は経済発展が遅れ、政治的にも混乱が続き、カカオやコーヒーといった農産物の生産も滞っていたのですが、1996年に、ビオコ島にある首都マラボの沖合で世界屈指の埋蔵量が見込まれる海底油田が発見され、一挙に、毎年二桁の経済成長を続ける国に変貌しました。

大陸部を領有しながら首都が島部にある国は、世界広しといえども、赤道ギニアと首都コペンハーゲンがジーランド島にあるデンマークだけです。

順序がややこしくなりましたが、赤道ギニアは、1970年代に6年間近く、このニワトリのついた国章の国旗になったように、この国は独立以来政治的に大混乱が続いてきました。

ざっと振り返ってみましょう。

1968年10月12日、国民投票を経て赤道ギニアは共和国としてスペインから独立しました。初代大統領はマシアス・ンゲマ。マシアスはソ連圏の国々と緊密な関係を保つという進路を線悪しました。1970年に与党である労働者国民統一党以外の政党活動を禁止して一党独裁体制に入り、72年には終身大統領を宣言、翌73年には憲法を改定し、大統領による独裁体制を固めたのでした。

国旗を改定し、雄叫びをあげるニワトリの国章に「労働」と書き加えて、いかにも「親ソ」的な国旗と国章にしたのでした。

しかし、1979年8月、マシアス自身の甥にあたるテオドロ・オビアン・ンゲマ(以下、テオドロ)がクーデターに成功、マシアスを処刑して大統領に就任し、軍事政権を樹立したのでした。何やら先日のNHK大河ドラマ「平清盛」を思わせるような話です。

その後、赤道ギニアは1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択しましたが、政治は安定せず、クーデター未遂事件が頻繁に発生しました。87年、テオドロをトップとする一党独裁の与党として赤道ギニア民主党(PDGE)が結成されました。89年、それを背景にテオドロが大統領に3選されました。

民主化を要求するスペイン、フランス、そしてアメリカなどからの外圧を受け、また頼みとしたソ連が崩壊寸前に追い込まれるという東西の力関係が激変する中で、91年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されました。しかし、この憲法には大統領の免責規定などがあり、これを改悪とする野党勢力が猛反発。テオドロはさらに強硬策に出たため、93年の総選挙は野党の大半がボイコットする形になりました。このため、選挙結果は当然ながらPDGEが大勝。96年2月の大統領選もまたまたボイコットした野党を黙殺し、テオドロが4選を果たしたのでした。

97年、テオドロ大統領は抵抗勢力である最大野党・赤道ギニア進歩党党首のセベロ・モトヌサに武器密輸容疑をかけ、同党の政治活動を禁止、モトヌサはやむなくスペインに亡命しました。驚くような話ですが、裁判所は、国家反逆罪でモトヌサに「懲役101年」という判決を下しました。

99年の国会議員の総選挙では全80議席中、PDGEが75議席を獲得。人民同盟が4、社会民主連合がかろうじて1議席を獲得するのみでした。11月に赤道ギニア進歩党(PPGE)など6つの反政府野党が民主化促進を旗印に、民主野党戦線を結成しましたが、2002年12月の大統領選に際しては野党4候補がこれをボイコットせざるを得なくなり、テオドロが97.1%という途方もない得票率で5選されました。

04年3月、イギリス陸軍特殊空挺部隊に属していたサイモン・マンが首謀者となって、亡命していたモトヌサを大統領に据えようとクーデターを企てましたが、事前に計画が発覚し、傭兵部隊と共にマンがジンバブエで逮捕され、未遂に終わりました。マンは赤道ギニアへ移送され、裁判で禁固34年の刑を受けましたが、08年に恩赦で釈放されました。テオドロはこの事件にスペインが関与したとして、国連総会でスペインを糾弾しました。また、イギリス元首相マーガレット・サッチャーの息子であるマークもこれに関与したとして南アフリカのケープタウンで逮捕されましたが、後に司法取引で釈放されたのでした。

こうした激しい政治状況を振り返ると、国旗に描かれた団結も平和も正義も、この国ではどうやら画餅のようにしか見えません。日枝神社の諌鼓鳥にでも雄叫びをあげてもらって、政争を少々、抑えていただかなくてはいけないのかもしれません

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