寬仁親王殿下、ありがとうございました


永田町、丸の内、大手町、皇居周辺を周ってみて、日章旗が半旗になっていたのは私が気づいた範囲では、新装なったばかりのこのパレスホテルだけでした。
殿下が亡くなられた6日夜、天満敦子デビュー25周年「ひと区切りをつける会」という少数のディナーに招かれて、全面改築、新装になったばかりのこのホテルに初めて入ったのも奇しき縁かと、この旗を眺めながら殿下を偲んだのでした。

寬仁親王殿下が6日午後、逝去されました。
謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

失礼をかえりみず、「ともさま」と呼びかけながら、殿下とは若い時からたくさんのご縁をいただきましたが、今となっては思い出に浸るほかありません。

姉上の近衞甯子さん(畏友・近衞忠煇日赤社長令夫人)とは前夜、日本太鼓連盟の会合でご一緒し、親しくお話をしたばかりであり、その甯子さんと、急遽帰国された殿下のご長女・彬子女王、そして次女の瑤子女王に看取られて天界に召されたとの記事を読むと、胸に迫るものがあります。

私の思い出の最大のものは失敗談です。10年余り前でしたでしょうか。難民を助ける会のチャリティコンサートを昭和記念人見講堂で開催した時の休憩時間、殿下と、明日、英国留学に立つ長女の彬子さま、それに相馬雪香会長(当時)と4人で貴賓室に入ったきり話し込んでしまい、第2部にすっかり遅れてしまったのです。係のボランティアに催促され、真っ暗な中を、殿下、彬子さま、それに80歳を過ぎた相馬先生の手を引く私とで、忍び足で場内に潜り込んだのでした。

それもこれも殿下と私が、もとい、その日の昼、モスクワから戻った私の疲れと不注意で、昔話に花を咲かせてしまい、すっかり盛り上がってしまったせいでした。今もって無責任を反省し、恥じ入っています。

ところで、「ヒゲの殿下」の本名は、寬仁、つまり、寛永の寛の下の部分に点があるのです。今朝の全国紙では1面トップで扱った産経新聞のみが正しく、朝、毎、読、日経はいずれも「てんでかんにん(点で堪忍=寬仁)」殿下にならないのです。

この点、殿下はよく気にしておられました。「自分の名前は点がつくんだがなぁ」と慨嘆されたのを何度か耳にしました。

もっともその産経新聞、中ほどの写真特集で、衣冠束帯姿の殿下の写真を左右(裏表)を間違えて掲載してしまいましたね。笏は右手で持つことを、配信した共同通信も、割付や校正した産経新聞の整理部や校閲部の人が気付かなかったか知らなかったのでしょうね。

あらためて生前のご厚情に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。

ところで、国旗のことです。2001年の「9.11」のときも、2012年の「3.11」のときも、いつもは最優等生である日本財団ビル、なぜか今回は半旗にしていません。

反対にそうした機会に、全く無神経に1週間もすぎてからようやく半旗にしていた首相官邸が、殿下薨去の公式発表とともに半旗にし、宮内庁は庁舎の国旗に黒い帯を付ける正式な弔旗にました。ともに2日間です。当然とはいえ、ご立派です。

官邸と宮内庁によりますと、14日午前10時から東京都文京区の豊島岡墓地で営まれる「斂葬の儀」に際しては両者とも弔意を示す掲揚の仕方にする予定とのこと。

民間で立派なのは新装開店したばかりのパレスホテル東京(丸の内)。7日のみでしたが半旗にしたのだそうです。さすがに、かつて各国の大使が陛下の認証式の際、ここにやってきて宮内庁仕立ての2頭立ての馬車に乗り換えた(今は皇居の門からに変更)だけのことはあると感心し、撮影しておきました。それが上の写真(吹浦撮影)です。

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