古橋廣之進、小野喬と東京オリンピックでの旗布の物語②


メイン会場電光掲示板の上に掲揚された、当時のドイツ国旗「ハーケンクロイツ」(鍵十字)旗など。

1936年のベルリン・オリンピックはナチスが行った最大の祭典でした。そこで翻ったのは人絹の旗地でした。人工的に繊維が作りだせるというのは当時、最先端の科学技術でした。今日のTORAYは東洋レーヨン、TEIJINは帝国人絹という会社でした。それは当時はさぞ新鮮な印象を与える社名だったからではなかったでしょうか。ドイツが国家の威信を賭け、記録映画の先駆者であるレニ・レーフェンシュタール女史を監督に、五輪映画としては初のオールカラー、当時の言葉でいえば「総天然色」で公式記録映画「民族の祭典」「美の祭典」の2本を完成させました。この映画は当時のヴェネチア国際映画祭で最優秀賞を授与されたのみならず、日本でも、それまでの映画の観客動員数を超える大人気映画となったのです。


ベルリン市内に並んだ参加各国の国旗

ベルリン五輪記録映画「民族の祭典」を監督したレニー・リリエンタール(1928~2003)

最近、「民族の祭典」をあらためて見る機会がありました。「ドイツの写真光学と映画技術の粋尾が結集した。大型クレーンを持ち込んだ俯瞰撮影、高速度撮影によるスローモーション分解、光量の少ない夜景をとらえた明るいレンズと高感度フィルム、望遠や倍率の高いズーム・レンズによる先週の極端なクローズ・アップ。それまでの記録映画にはほど遠い技術を可能にした」(日野康一氏によるCDの解説書)という作品です。

そして、そこにはまさに人絹製の参加国旗がきらきらと美しくはためいているのです。

東京オリンピックの準備にあたっていた頃、この映画は何度か見ました。そして、いくら当時の最先端技術であったとしても、人絹ではペラペラした風合いもさることながら、強風が吹けばおそらく1、2日で切れてしまうのではないかということから、日本毛織のウール、東洋レーヨンのナイロン、東洋紡のエクスランに布地は絞られたのでした。

「伝統の旗布で染めがしっかりしている。製造する旗屋も慣れている風合いが最高。実績がある。世界のほとんどでウールの旗布が定番だ」(古橋)、

「五輪はいつの時代も最先端の技術を発揮してきた。ベルリン大会では人絹だった。挑戦しよう、新しいものに。アメリカではナイロンの旗布が主流だ。何と言っても丈夫」(小野)…

古橋、小野のお二人とも、さすがと思わせたのは、東京五輪組織委事務局で私が所属する式典課や競技部の幹部にプレッシャーをかけるということをせずに、ひたすら、誠実に自社製品の特徴を売り込むのです。その堂々たる姿勢と矜持は忘れられません。

そこで、私は「では、グアテマラ、スペイン、メキシコの旗を2×3mで製作してみて下さい。それを五輪の1年前、同じ開催期間に国立競技場に掲揚してみなさんで公平に審査しましょう」と提案しました。古橋も小野も頷いてくれたのです。

当時の3カ国の国旗はこのデザインです。グアテマラとスペインは東京五輪直後に共著として上梓した『国旗総覧』(1965)からスキャンしたものです。


当時のグアテマラの国旗

当時のスペインの国旗

今と同じ、当時のメキシコ国旗

思えばこの3カ国を指定したというのは、いかにもイジワルのようで恐縮ですが、染めと縫製の強度(縫い糸と旗付の相関関係)、さらには風格を重視して判定させていただきました。その結果、ウールは強度が不十分、ナイロンは「染が泣く」(雨天で色が流れる)という弱点があり、採用できませんでした。

この試用試験を経て、以後、東京、札幌、長野のオリンピックでは全てエクスランの旗布(バンティング)を使用しました。

掲揚試験の結果は、古橋の日本毛織製のウールは繊維の弱さから最初に破損し、小野のナイロンは大雨で染色が泣いた(流れた)のです。そして、ダークホースのエクスラン(東洋防)が採用され、以後、札幌、長野の両冬季五輪をはじめ、日本の旗布はエクスランの圧勝となりました。それでもその後もお二人は、どこかで出会うと声をかけて下さいました。

古橋の突然の訃報に接し、感謝し、心から哀悼の意を表し、ご冥福を祈ります。合掌
(2009年8月3日、ブログに記載したもの)

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