シリア政府の残虐非道を糾弾する

シリアのアサド政権には、ただただ怒りを覚えます。多くの子どもや女性まで虐殺され、バングラデシュの独立にいたる過程やベトナム戦争を現地で体験した私としては、とうとう夢にまで見てしまいました。

今朝の新聞各紙は、欧米諸国やトルコなど10カ国が自国に駐箚するシリア大使に退去を求めたのを追って、玄葉公一郎外相が5月30日の記者会見で、「非人道的な暴力を断固として非難する。悲劇が生じる責任はシリア政府にある」と厳しく批判したと述べています。

ただ、日本の通告は、ウィーン条約に基づく「追放」ではなく、松冨重夫中東アフリカ局長がハバシュ駐日大使を呼んで、「早期に国外に退去するよう伝えた」だけでありました。もう一歩強く、「72時間以内」とかに時間を区切って退去することを求めてもよかったのではないでしょうか。

加えて、少し残念なのは、欧米10カ国に遅れて足並みを揃えたことになる、タイミングの拙さはなかったでしょうか。もう少し、情報をしっかり得て、追っかけて行くという外交ではなく歩調を合わせて、あるいは人道問題では率先して外交を展開していいのではないでしょうか。

以下は5月25日、シリア中部のホウラでの悲惨な様子を報じるNHKウェブ版からです。
こんな酷いことを国際社会は許してはいけません。多国籍軍でも何でも派遣して、バッシャール・アル=アサド政権を即刻打倒してもらいたいものです。

シリアで活動を続けている国連の停戦監視団は、アサド政権側に虐殺されたとみられる女性や子供を中心に90人以上の遺体を確認しました。今後、アサド政権への厳しい対応を求める声がいっそう高まるものとみられます。

シリアの人権団体によりますと、シリア中部ホムスのホウラ地区で、25日、アサド政権の部隊が砲撃をした後、政権を支持する民兵が街に入り、女性や子どもを次々に殺害したということです。

ホムスの住民はNHKの電話取材に対し、「大虐殺が起きた。女性や子どもが首を切られて100人近くが死亡した」と話し、政権側による虐殺が起きていると訴えています。

インターネット上に投稿された現地からのものとみられる映像には、殺害された幼い子どもたちが横たわっている凄惨な光景が写っています。

これを受けて国連の停戦監視団は、26日、ホムスのホウラ地区に入り、住民に聞き取りを行うなどの調査を行った結果、子ども32人を含む92人の遺体を確認したとして、「残忍で悲劇的な出来事が起きた」と虐殺を激しく非難しました。

シリアでは、監視団の目の届かないところで、アサド政権による市民への弾圧が続いていて、国連などの特使を務めるアナン前事務総長は近くシリアを再び訪問し、事態打開の糸口を探るためアサド大統領との会談を検討しています。

今回の虐殺の実態が明らかになったことで、アサド政権への厳しい対応を求める声がいっそう高まるものとみられます。

シリアの国旗は、1946年の独立以来しばしば変更されてきました。国家の骨格が変わったり、政権の基本的な政策が変更になったりといった理由です。

1950年の憲法では「緑白黒の横三色旗の中央に、赤い3つの星の旗」を国旗としました。


アサド政権の国旗

反政府側が掲げている旧シリア国旗

1958年2月、エジプトと合併してアラブ連合共和国を作った時には、両国の団結を表わして、現時のシリア国旗の星を2つにした旗になりました。が、この合併は失敗し、1961年、シリアは分裂して単一国家となり、国旗は合併以前のものに戻ったのです。

1963年4月、シリアはアラブ連合、イラクと同年秋までに合併することを宣言し、その暁には「赤白黒の横三色旗に、緑の3つの星の旗」を国旗とすると発表しました。そして同月30日、革命統帥国民会議は、翌年5月1日以降、同三色旗をシリアの新国旗とする法令を公布したのですが、イラクも6月に国旗を変更したので、両国の国旗は全く同じデザインになったのです。

その後、イラクの国旗は湾岸戦争やイラク戦争を経て何度も変更になりました。

1958年にシリアとエジプトがアラブ連合共和国を結成した時に、現在と同じデザインのものが使われました。すなわち、二つの星はエジプトとシリアを意味していたわけです。しかし、1961年にシリアがこのアラブ連合を離脱し、国旗は以前のものに戻ったのですが、1963年にバアス党のクーデターでまた赤・白・黒の横三色旗に戻りました。ただし、この時には星は3つとなりました。これはほぼ同じころに、イラクでもバアス党が政権を奪取したことによるもので、エジプト・イラク・シリア3国による汎アラブ国家建設構想もありましたが、これは、実現できませんでした。

アラブ諸国の合従連衡といいましょうか、くっついたり離れたりはその後も頻繁に行われ、1971年には、カダフィ国家元首率いるリビアの主導で、リビア・シリア・エジプトの汎アラブ主義を掲げる3国がアラブ共和国連邦を結成し、「赤・白・黒の横三色旗の中央にアラビア語で「アラブ共和国連邦」と書いた巻物を持つ金の鷹」というデザインを共通のものとして掲げようとしました。しかし、この連邦は、結局、政治統合を見ないまま1977年に解消したのでした。

シリアの現在の国旗は1980年からのものですが、この旗はアラブ連合当時と同じデザインです。

2011年春からの「アラブの春」に連動した形のバッシャール・アル=アサド政権打倒を掲げる反政府勢力は、バアス党による政権獲得以前の1963年までの国旗を掲げて、事実上の内戦を展開しています。

いかなる政権であっても、国民、しかも婦女子を砲撃や銃撃で殺害したり、公正な裁判にもかけず、縛り上げて銃殺をするというのは論外です。

ノーベル平和賞があるなら、「非人道・人間失格章」のようなものがあったもいいとさえ、思います。


シリア大統領バッシャール・アル=アサド。
この男、残虐非道につき、国際社会は一致して排除すべし。
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