イギリスとアメリカで対立したことも – 初のロンドン五輪の話

1908年当時の英米国旗。米国の「星条旗」は同年7月4日の独立記念日にオクラホマの州昇格に伴う46星に変わったばかりだったのです。「46星条旗」はその後、アリゾナとニューメキシコの州昇格に伴い48星になるまでの満4年間、米国旗でした。

20日は旭天鵬の涙の優勝で、21日は金環日食で盛り上がりましたが、これからは、ロンドン・オリンピックでしょうか、開会式まであと2ヶ月あまりとなりました。水泳の北島庸介、体操の内田航平、田中3兄妹弟など日本選手団もかなりメンバーが確定しましたし、聖火は、混乱続くギリシャからとにかくイギリスに届きました。あとは大会が順調に開催され、メインポールに「日の丸」が上がることを期待しましょう。

読売新聞スポーツ面には、「五輪百話」と題するすばらしい連載が続いています。その4月7日付と8日付には「国旗と入場 暗い逸話も」と題して、こんなエピソードがあったことを教えてくれました。

イラクでもアフガニスタンでも、まるで兄弟のように一致して行動しているかに見える英米両国ですが、こんなこともあったんですね。

(まずは7日付)

初めてのロンドンでの五輪は、1908年の第3回オリンピック競技大会。国旗を掲げて入場行進が行われた最初だった。

それまでは、個人やチーム単位の参加だったが、各国のオリンピック委員会を通じての参加に変更。22か国・地域の選手がアルファベット順に入場し、プラカードや国旗もお目見えした。現在も受け継がれている五輪を象徴するイベントは、ロンドンから始まった。

だが、当時大英帝国として世界に君臨していたホスト国と、急速に力を伸ばしていた米国との感情的な対立は、栄えある最初の入場行進にも、後味の悪いエピソードを残している。

英国王らがいるロイヤルボックス前を通過する際、米国チームの旗手は、国旗を下げる儀礼を行わなかった。その砲丸投げの選手は「つまらない国王のためにアメリカ国旗を下げることはしない」と言い放ったという。

(以下は8日付)

1908年五輪開会式の入場行進で、米国チームは英国王の前で旗を下げなかったが、その話には伏線がある。

国際大会らしく、開会式のメイン競技場には、参加した国・地域の旗が翻っていた。ところが、その中に、なぜか不参加の日本と中国の旗があり、逆に出場国の米国とスウェーデンの旗がなかった。両国は猛反発。この大会で米国は、英国の運営に対して多くの抗議を行ったが、その最初の正式抗議がこの一件だった。

英国側は「単なる運営ミス」と釈明、星条旗を探したが発見できなかった。その意趣返しとして、入場行進で英国王に敬意を示さなかったと言われている。

英米対立のダシに使われた感もある日本国旗。初出場の日本が日の丸を先頭に入場行進するのは、4年後のストックホルム大会だ。

どこの組織委がやっても国旗には苦労がつきもの。感動の大きさに比例して心配が絶えないのは何度か組織委に勤務して国旗を担当した者としてよく解ります。

国旗の研究では長らく世界に君臨してきたイギリスですが、まさか7月の五輪開会式では100年余り前の失敗を繰り返すことはないと思いつつ、私はまた、いつの五輪開会式でもそうであるように、ハラハラしながらテレビ画面に食い入るでしょう。ただし、その頃は北方領土の国後島に行っています。果たして、新造船「えとぴろか」号のテレビは画像をしっかり捉えてくれるのでしょうか?こっちのほうも期待と不安です。

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