リヒテンシュタイン国旗物語

<小国リヒテンシュタイン大騒動 「絶対権力」公爵家に国民「注文」7月にも国民投票>という興味深い記事が、朝日新聞5月15日付に出ていました。リヒテンシュタインの首都ファドゥーツ発、前川浩之記者のレポートです。 

ヨーロッパにはリヒテンシュタインのような極小国とでも言うべき国がいくつかあります。アンドラ(ピレネー山地)、モナコ(リヴィエラ海岸)、サンマリノ(イタリアの山地)、いずれも日本と同じステイタスで国連には加盟していますし、当然、国旗もあります。世界で一番面積の小さな国・ヴァチカンは立派な独立国であり、東京にも大使館はありますが、国連には加盟していません。


モナコの国旗

サンマリノの国旗

アンドラの国旗

ヴァチカンの国旗

そのリヒテンシュタイン、ハンス・アダムス2世公爵(第15代)を元首とする、スイスとオーストリアに隣接する独立国ですが、この元首を中心とする政治制度は、とても21世紀とは思えないような国家運営です。

めったに報道されない国ですので、こういう機会に復習しておきましょう。まずは、朝日の記事です。

絶対的な権力を持つ「公爵」の力を少し弱められないか――。億万長者の世襲貴族が統治する欧州の小国リヒテンシュタインで、公爵の権限をめぐる国民投票が7月にも行われる。公爵と民主主義の折り合いをつけようとする試みだ。

国名でもあるリヒテンシュタイン家は約300年、公爵を世襲してきた。25人の国会議員は選挙で選ばれるものの、首相任命権や議会解散権のほか、法案拒否や裁判官選定の権限は公爵が握る。公爵ハンス・アダム2世(67)は2004年8月、政務全権をアロイス皇太子(43)に委譲し、現在は皇太子が国家元首代行を務める。

今回の投票は、重要な政策を決める際に行う国民投票の結果について、公爵が拒否権を行使できないよう憲法改正することの是非を問う。市民団体が、必要な1500人を超える1732人分の署名を集め、政府に提出した。団体のシークバルド・ボールベンドさん(46)は朝日新聞の取材に「歴史的な投票」と話す。

事の発端は、昨年9月、妊娠中絶の合法化を問う国民投票で、カトリック教徒の皇太子が投票前に公然と反対運動を展開したためだ。「投票しても意味がなくばかばかしい」との不満が国民の一部にたまった。

ボールベンドさんは「公爵を否定してはいない。利害が絡むと、独立した公爵が裁定するというのも、小国には必要な役割だ。でも、国民の意見は尊重すべきで、それが民主主義でしょう」と話す。

アロイス皇太子は、地元紙に「公爵家が政治の責任を取れないなら、この国から出て行く」と述べており、今回の動きに反発しているとされる。公爵家の推定資産は、50億スイスフラン(4250億円)。銀行も経営しており、同国経済の基盤を握る。米誌フォーブスによると、公爵は世界第6位の大富豪で、国家から自立した財力も持つ。ただ、国家元首のため税金を払わなくてもよいとの特権があることなどから、実際に国を出て行くことはないとみられる。

リヒテンシュタイン研究所のビルフリード・マルクセール氏は「不完全な民主主義だと思うが、全国民が共同体の一員という自覚も強い国。投票で過半数の賛成を得るのは難しい」とみている。

リヒテンシュタインは1719年、リヒテンシュタイン家が購入した領地に神聖ローマ皇帝が自治権を与え公国になりました。外交の多くはスイスが代行、通貨もユーロではなくスイスフラン。世界銀行によると、2010年の1人あたり国民総所得(GNI)は13万6540ドル、世界2位で日本の3.2倍という高さ。要するに、「金持ち小大国」なのです。法人税率が低く多くの企業が拠点を置く。法人登録が簡単でペーパーカンパニーも多く、タックスヘイブン(租税回避地)としても知られています。

以前、「リヒテンシュタイン訪問記」と題して書きましたが、大学院時代の私の指導教授である松本馨早大教授は昭和初期のハイデルベルク大学留学時代、この国を訪ねてみようとして列車に乗ったのですが、往復とも通過して果たせなかったという思い出をしばし語っておられました。そこで、私は1982年、仲間とともにテレビ映像の撮影のためにしばらくスイス東部のアペンツェルン州にいた時、恩師の恨みを果たさんとばかり、レンタカーでリヒテンシュタインに向かいました。しかし、いかんせん生来の粗忽者、これまた通過するというお粗末でした。

いくらなんでも帰路、細心の注意で念願を成就できました。まずは、入国管理事務所へ。係官は、引出しからめったに使ったことがなさそうな古びたゴム印を出して、確かに入国したことを証明してくれました。東洋から不思議な男がやって来たという感じの顔を忘れられません。特にすることもないので、イタリアン・レストランでスパゲッティを食べただけでスイスに戻りました。

要はそのくらい面積の小さい国。160平方キロというのですから、宮古島や小豆島程度。人口は3.5万、首都のファドゥーツと言えども5千人に過ぎません。

1866年の普墺戦争以来、非武装中立政策を続け、在外公館はスイスに大使館、欧州議会のありますストラスブールと国連本部のあるニューヨークに常駐代表部を設置しています。

1919年の合意に基づきスイスに外交の多くにつき利益代表を依嘱しているのです。1975年にOSCE(欧州安保協力機構)に加入して以来、外交活動を活発化し、そのスイスに先んじて90年には国連加盟国となりました。翌年、EFTA(欧州自由貿易連合)に、95年にはWTO(世界貿易機関)への加盟も果たしています。

ところが、この国は、国連加盟国のうちチェコとスロバキア を承認していないのです。

リヒテンシュタインは第2次世界大戦までチェコスロバキア内に領地を持っていました。

しかし、戦後チェコスロバキアが自国内のドイツ系とハンガリー系住民の国籍を剥奪し、財産を没収するという措置(ベネシュ布告)を行ったことを違法とし、この問題が解決していないからです。同様に、リヒテンシュタインへの対抗措置として、1993年1月“協議離婚(ビロ-ド離婚)”した、チェコとスロバキアの両国はともにリヒテンシュタインと国交がありません。

この小国、実は国旗の点でも、リヒテンシュタインは少々ややこしいのです。垂直掲示の場合には、公冠を90度回転したデザインの国旗を製作しなくてはならないばかりではなく、もともとハイチ国旗とデザインが同じだったため1936年のベルリン五輪で混乱し、翌年、リヒテンシュタインは公冠を、ハイチは紋章を付け加えたて区別するようにしたのです。


垂直掲揚では王冠を90度回転する。
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