ポルトガルの栄光① – ポルトガル語圏競技大会に見る大航海時代の栄光


1911年、共和制になって国旗を変更し、
現在に至るポルトガルの国旗。

ポルトガル王国時代(1830~1910年)の国。
王政が倒れた時、地色を変え、王冠を取り除き、紋章の背景に天球儀を置くことで、大航海時代の栄光を示すことによって、イメージの転換を図りました。

産経新聞(5月6日付)で蔭山 実運動部長がこんなコラムを書いていました。以下の記事の前半ではロンドン五輪、そして同じく4年に1回の英連邦競技会のことについて触れていますが、そこは省略し、ACOLOP(ポルトガル語圏競技大会)のことに絞っています。

国際競技大会はアジア競技大会のように地域ごとなら世界各地にある。だが、英連邦のように大英帝国という植民地時代の名残のあるものはどうか。調べてみて目を引いたのが06年に始まった「ポルトガル語圏競技大会」である。

「ポルトガル語圏は4大陸にまたがり、人口は2億5千万人に達する。いまやポルトガル語は世界に冠たる言語の一つ。スポーツを通じて地域の結束、統合、協調を図る」とは、04年に創設された「ポルトガル語圏オリンピック委員会」の主たる目的だ。

加盟国・地域は12。ポルトガルやブラジル、アンゴラ、東ティモール、マカオのほか、インドも入っている。15世紀末以降、スペインと覇権を分け合うように現在のブラジルからアフリカ、インド、日本へと世界の東半分にポルトガルが進出した名残がうかがえる。競技大会は06年のマカオ、09年のリスボンに次いで、13年にインドのゴアで開催される予定だ。

日本にも16世紀半ば以降、南蛮人と呼ばれたポルトガル人の渡来でズボンなどの外来語が入り、唐辛子やタマネギが到来して南蛮漬けが生まれたといわれる。競技大会への参加資格を得るには至らなかったが、一方で日本は20世紀に入りブラジルへの移民でポルトガル語圏との関係を広げた。

16年にはリオデジャネイロ五輪が控える。スポーツが率いる新たな南蛮渡来の予感。日本が学ぶべきものは何か、いまから目を向けてみたい。

この記事を読んで私は、この参加国の構成では、総人口もスポーツ人口も圧倒的なブラジルが全メダルを獲得するのではないかと、余計な懸念をしてしまいました。しかし、これぞ浅学菲才の証拠、よく調べてみると、これまでの2回の大会では、「本国」ポルトガルが結構健闘しているようです。すなわち、金メダルこそ、ブラジルの62に対してポルトガルは37と水をあけられていますが、銀では42:52、銅では29:36と勝り、3つの合計では133:125と「いい勝負」のようです。ポルトガル往年の栄光を讃えるよう企図され、また、文化の多くを共有する国どうしとして、もしかして、勝敗や記録は最重要なものではなく、各国とも気持ちよく参加したのでしょうか。

ちなみに、メダルの総数では、以下、マカオ26、アンゴラ19、カーボベルデ13、スリランカ11、モザンビーク11、ゴア(インド)10、サントーメプリンシペ10、東ティモール1、ギニアビサオ1、赤道ギニア0がこれまでに参加した国と地域の実績です。産経新聞では、加盟国・地域は12となっていますが、いろいろ調べましたが12番目は判りませんでした。

ポルトガルの国旗には航海用具である天球儀(天測儀)が描かれています。15世紀から16世紀にかけて、この国は世界各地に大きな発展を遂げました。このデザインはその象徴です。

13世紀、イベリア半島からイスラムの勢力を駆逐するというルコンキスタ(レコンキスタ=国土回復運動)達成後、ポルトガル最大の港町リスボンは北海と地中海を結ぶ交易の拠点として繁栄し、キリスト教文化もまた盛んとなりました。1290年には、ディニス1世によってコインブラ大学が設立されるということもありました。

しかし、14世紀のペストの大流行はこの国に大きな危機をもたらしました。しかし、この世紀の後半ジョアン1世がアヴィシュ朝を開くと、交易には特に力を入れ、皇子のエンリケ(1394~1460)に北アフリカのセウタを占拠させました。エンリケは航海王子として歴史に名を残しています。


ポルトガルの海外進出に大きな役割を果たした
エンリケ航海王子

今の国旗にも取り入れられているエンリケ航海王子の紋章
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