南極の地での3つの国旗② – スコット隊の悲劇


イギリスの国旗「ユニオン・ジャック」

ロバート・スコット(イギリス)

一方、スコット隊です。1912年1月4日に南緯87度32分の地点でスコット、エドワード・ウィルソン、ヘンリー・バウアーズ、ローレンス・オーツ大尉、エドガー・エヴァンスの5人が南極点をめざすことになり、1月17日18時30分頃、念願の南極点に到達しました。翌18日に英国旗「ユニオン・ジャック」を立てました。しかし、これは、アムンゼン隊に遅れること約1ヶ月、極点ではノルウェーの国旗を見ることになったのでした。アムンゼンが残したテントには、食料・防寒具・手紙が置いてありました。

しかしスコットたちはそれ以前にアムンゼン隊のソリの滑った痕を見つけており、遅くとも1月16日には彼等に先を越されたことはほぼ確実であると認識していたようです。

1912年3月29日、スコットは最後の日記をしたため、失望の中でこの日まで全員が死亡しました。

距離、天候、重装備、貯蔵した燃料缶の損傷…不運が続く中で相次いで凍傷に見舞われました。その隊員を置き去りにするか、連れて帰るかに一行は悩みつつ、後者を選択したのでした。私には、最初に凍傷になり亡くなったスコットの親友エヴァンス少佐のことも印象にのこりますが、自らを見捨てるよう嘆願したオーツ大尉には頭が下がります。3月17日の朝、オーツは「I am just going outside and may be some time」(「ちょっと外へ出てくる。きっとすぐ戻るよ」)との言葉を残してテントから出て、ブリザード吹きすさぶ中で行方不明になったのです。実は、若い頃、英語のtextでスコット隊のこの悲劇を読み、この日が同隊員32歳の誕生日でもあることを知り一層、ジーンときたことを覚えています。私事で恐縮ですが、それは私自身の誕生日なので、なおのことだったのかもしれません。

アメリカは1956年11月、1957年の国際地球観測年を記念して、南極点付近に「アムンゼン、スコット観測基地」を建設しました。

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