床屋と国旗② – 紳士の無精ひげはご法度

もとより人の髪はドンドン伸びてゆきますから、生活上も衛生上もこれではかないません。ですから、理容の仕事は先史時代からあり、青銅器時代のBC3500年頃の遺物からカミソリのようなものが発見されているそうです。

また、バビロニアのハムラビ王(在位前1728~前1686)が制定した「ハムラビ法典」に理容を業とする者についての記述があるそうです。人類の歴史で最も古い職業の1つでしょうか。しかも、この法典の中に、医師の補助的な役割を担う者として、外科手術や歯の治療なども手がけていたことが記載されているのです。

また、『旧約聖書』の中の三大預言書の1つとされる「エゼキエル書」にも理容にかかわることが書かれています。アレクサンダー大王に征服される以前のギリシャでは、調髪、頭髪、髭、指の爪などをきちんとそろえるのは従者の仕事の1つとされていました。貴族にあっては、毎朝、公衆浴場で理髪師に身を正させるということが習慣でした。

理容師という職業は遅くとも紀元前3世紀にはギリシャからシチリア島を経てローマに伝わり、広く普及しました。自由市民たちはここで髭を剃ってもらいましたが、奴隷たちには許されず、容姿だけで階級が一目瞭然でした。紀元前54年、ガイウス・ユリウス・カエサルがブリテン島に着いたときには、ブリテン人は唇の上部以外の顔の髭を剃っていたそうです。

中世になると、簡単な外科治療、いまでいう小外科(皮膚科、耳鼻科、眼科のようなものが守備範囲)や虫歯を抜くと言ったこともやり、「理容外科医 barber surgeon」という職業が出来ました。

中世以来、イングランドでは紳士たる者、無精ひげはご法度とされていました。

中世の欧州諸国では理容師は理容外科医であって外科的処置を行う外科医であり歯科医師でもありました。(barber surgeon)という言葉が残っています。当時、医学は内科が主流とされていたため、「瀉血(しゃけつ、血抜き)」、吸角法(牛の角を皮膚に吸い着かせ、溢血を起こさせたり、吸圧による刺激を与え、血液を浄化することによって体質を改善する療法)、接骨、ヒル療法、浣腸、抜歯、怪我の処置から四肢の切断等に至るまで、理容師が行っていました。

ルネサンスの時期になると、ラテン語ができるかどうかが、より専門的な医師との区別をつけることとなり、特に医師が内科医中心の時代となり、文献読解力の重要性が問われるようになりました。このため、次第に理容の仕事と医者の仕事がそれぞれに専門職として確立され、専門化が進み、1256年には、フランスに創立された外科医学校では、外科の一部門として理髪術が教えられたという記録もあるそうです。

しかし、14世紀のペストの大流行で医者不足が生じ、両者の垣根は再び低くなりました。フランスでは1391年に、イギリスでは1540年に二つのギルド(職業組合)が統合され、「barber-surgeons」が生まれました。

中世の医学は、内科学主流とされていたため、けがの処置や四肢の切断等に至るまで、理容師がこれを行っていました。さらに瀉血、浣腸、抜歯等も積極的に行っていたことは先に書きました。そのため、理容師は1462年に、エドワード4世(イングランド王)により、ギルド(職業組合)として法定化され、外科医はその30年後に別のギルドが出来ましたが、1540年にヘンリー8世により”The United Barber Surgeons Company”(理髪・外科医組合)となりました。16世紀末のエリザベス1世時には2週間以上髭の手当てをしなかった者からは特別の税金(罰金)を取ったとも伝わっています。理由は生活が怠惰であることの証明だからというものだったようですが、barbarianは野蛮人、未開な教養のない人であり、すなわち髭や鬚を蓄えた人というローマ時代の考え方が残っていたのかもしれません。

ロシアのピョートル大帝(在位:1682~1725年)も同様の法律を制定しました。私の友人のある大学の教授(日本人)は15年ほど前、ロシア人の学者から「顎鬚は知識人のすることではない。よく学長が許しますね」と言われたことがあります。また、アイルランドではイギリス人と見分けるために、口から上の毛を全部剃らせていたことがあるとか。逆に、「髭が無いのはホモだ」とアラブ首長国連邦でムスリムの人から注意されたという日本人商社マンもあり、髭については一概には言えないようです。このため、私もムスリムが8割くらいであるバングラデシュにいたとき、口髭を生やしていた時期がありました(笑)。

閑話休題。イングランドでは名誉革命を経て、1745年、外科医と理容師とが法律上、ようやく分離されました。一方、フランスではルイ14世(在位1643~1715)の時代になってからは分化が進み、フランス革命以降は完全に分離したとされています。

ですから、床屋の看板である青白赤の縞模様の標識(サインポール)は、静脈、包帯、静脈を表したものとされ、当時の名残(なごり)であり、フランス三色旗からというのが最有力の説です。血管に動脈と静脈の2種類があることが発見されたのは17世紀のことです。ですから、それ以前に血管を赤と青で分けて表示したという話は、歴史上考えられません。

ところで、床屋を表わすbarberはラテン語のbarba(あごひげ)からきたもの。英語ではbarber。時々、街でBar Berなどと書いてある看板を見ると、Berと言う名のbarがあるのかと、「決して(入り込むことが)嫌いではない」私は勘違いしてしまうのです。もっとも、英国ではhairdresserのほうが多用されているように思います。また、sign poleではなく、Barber’s poleと呼ぶのが普通です。

理髪師というと基本的には髪を切り、髭を整える職業ですが、最近はほかに、エステ、ネイル、メイク、パーマ、ヘアカラー、耳の掃除、マッサージなどと守備範囲を広げつつあり、追って書きますがその技能や、衛生面での水準は世界のトップをいっているのではないでしょうか。

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