国旗で見るミズーリ号での日本降伏式①

1945年(昭和20年)9月2日、東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリ号の甲板で、降伏文書調印式が行われました。ミズーリ号は全長270メートル、満載排水量5万8千トン。米最後の戦艦と呼ばれ、沖縄戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争、さらには1991年の湾岸戦争にも出動し、92年に退役した後、99年からハワイの真珠湾で記念館として一般公開されています。


日本の降伏式でスピーチするマッカーサー総司令官。1945年9月2日、東京湾内の米戦艦ミズーリ号の甲板で。
左上の国旗は、1853年、ペリー提督来航の時に掲げられた国旗。私にはいかにもアメリカらしい、独善的ともいうべき「要らぬお説教」の象徴のように思えてしまうのですが…。黒い服の人から右へ3人目がパーシバル、4番目がウェインライトか。

星条旗はたとえ縦長に掲揚(垂直掲揚または縦掲揚)の場合でも、星の部分(カントン)は左側上部になるようにしなくてはいけない。
米国下院本会議場に縦掲揚された星条旗(2007年1月23日の一般教書演説にて)。

私はこの調印式での国旗の扱い方について、米国人のものの考え方、価値観を見る思いがするのです。いかにもアメリカらしい、独善的ともいうべき「要らぬお説教」の象徴のように思えてしまうのですが…。

まず、事実を列挙しましょう。

1. ミズーリ号はその92年前、すなわち1863年にマシュー・ペリー提督が4隻の軍艦を率いて鎖国下の日本にやってきたとき、旗艦ポーハタン号が停泊したと緯度・経度がまったく同じ場所に停泊させました。

2. ミズーリ号の甲板は「星条旗」が2枚掲げられました。1枚は真珠湾攻撃を受けた時、ワシントンのホワイトハウスに掲げられていた48星の「星条旗」です。3日かけて首都から運び込んだようです。

もう1枚は1853年にペリー艦隊の旗艦である蒸気外輪フリゲート艦サスケハナ号が掲げていた31の星を描かれた「星条旗」をメリーランドのアナポリス海軍士官学校博物館から取り寄せ、額装のまま掲げたものです。ダグラス・マッカーサー(1880~1964)の強い要望で届けられたそうです。この旗は、現在、再び米国海軍兵学校に戻されて、保管されています。降伏式場でのペリー時代の旗は、米国の国旗の扱い方からして、左右が逆です。星の並ぶカントンが常に左側に来なくてはいけません。アメリカ人、ましてこういう場面でそれを間違うということはありえません。布がこびり付いていて剥がせなかったということが真相のようです。

3. 式場には「日の丸」はもとより、署名する他の連合国の国旗も掲げられませんでした。

ここに堂々と関係国の国旗を全部掲げたとしたら、私の対米観はずいぶん違ったものになっていたでしょうね。

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