三等分ではないフランスの海上用国旗②


トゥーロン軍港で出航準備にあたっている補給艦「マルタ」

フランス海上用国旗

ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神 ― 1830年7月28日」。「トリコロール」が15年ぶりに復活した。

1830年の「七月革命」で「国民の王」と唱えて玉座についたオルレアン公ルイ・フィリップは、民主勢力との融和を図って「三色旗」を採用しました。ドラクロワが代表作『民衆を率いる自由の女神』を画いたのはこの時(1831年)のことです。「三色旗」は、爾来、一貫してフランスの国旗の座にはあります。ただ、幾度か危機がありました。特に1848年の「二月革命」の時には、「三色旗」を掲げる共和派と「赤旗を!」と叫ぶ社会主義を支持する過激派との厳しい対立が起きました。この第二共和制を最終的に確立したアルフォンス・ド・ラ・マルチーヌ(1790~1869)は「赤旗はシャン・ド・マルス広場を一周しただけだが、「三色旗」は栄光と祖国の自由の象徴として世界を一周した」との歴史に残る名セリフをはいて、過激派の要求を斥けたのでした。


フランスロマン派の代表的詩人で七月革命の指導者となったラ・マルチーヌ

ちなみに、ラマルチーヌは,フランス・ロマン派の代表的詩人で、フランスにおける近代抒情詩の祖といわれる人。1820年の『瞑想集』で一躍注目され、続いて『新瞑想詩集』『詩的的で宗教的な調べ』などを発表した著名な詩人です。大作曲家フランツ・リストの交響詩の中で有名な『前奏曲』は、「人間の生涯は死への前奏曲に過ぎない」という内容のラマルチーヌの同名の詩を音楽にしたものです。イタリアに駐在する外交官であったこともあり、1833年には代議士にも当選していたとはいえ、七月革命を機に政治の中心舞台にたちました。その立場はは理想主義的で、政治的には王党派と社会主義派の中間的な穏健思想を持っていたといわれています。作品にはこのほか、小説『オリエント紀行』、歴史書『ジロンド党史』などがあります。2月革命では、臨時政府の外務大臣となったのですが、同年12月の大統領選挙でルイ=ナポレオン・ボナパルト(後のナポレオン3世)に敗れ、1851年の大統領によるクーデターで政界を引退しのでした。

続く「叔父・大ナポレオンの栄光」を背負うルイ・ナポレオンの時代(第二帝政)にはもちろん「三色旗」でした。

パリ・コミューン(1871年)の旗も「三色旗」。そして次の第三共和制の時代にも「ブーランジェ事件」(1880年代)とか「ドレフュス事件」(1897~99年)といった、共和派、王党派、右翼などが絡む国家の屋台骨を揺るがすような事件が相次いだのですが、フランス社会はそれを乗り越え、「三色旗」はそのまま受け継がれて、今日に至っています。すなわち、大革命期に始まった「三色旗」は、ルイ18世、シャルル10世兄弟による「第二王制時代(1815~30年)」を除き、今日までフランスの国旗だったことになります。

フランス国民の大部分はこの旗をデザイン的にも最高にすばらしいものとして誇っています。ただ、三色の幅については常に意見がありました。議論は今でも続いているのです。というのは、遠くから見て、「等分」では竿側が太く見えておかしい、つまり、竿に近い青の部分では旗布がピンと張って、端の赤よりも大きく見える、というのです。また、白が膨張色で同じ幅では膨らんで見えるという考えもあるようです。

このため「三色旗」の竿側の帯(青)の幅を狭くするということが行われました。この不等分な帯の「三色旗」は1853年5月7日にナポレオン三世によって海上旗として制定されたものが始まりですが、特に第三共和制(国)の時代(1875~1945)には三色がしばしば30:33:37の幅に区分されたものが使われていました。

わが国の国旗に関する刊行物でも、1938(昭和13)年刊行の吉川晴帆の名著『萬國旗』でも「フランス国旗の三色は30:33:37の横幅である」としています。

また、青の色についても濃かったり、明るかったりいろいろで、何事によらず個性尊重のフランス人らしい用い方でしたし、それは今でもあまり変わっていないようです。しかし、これでは国旗のデザインが混乱するということで、第二次大戦後、ド・ゴールが最初に定めた「第四共和国憲法」の冒頭(第二条①)で「フランス共和国の国旗は縦に三等分された青白赤のトリコロールである」とし、「三等分」を明記しました。

ところが、それで一件落着と思いきや、未だ最終的にまとまったとは言えないようです。

同じド・ゴールが復活して強権を手中にした58年の「第五共和国憲法」では、この条文から「三等分」の語を削除してしまったからです。

「自由、平等、博愛」を表す「三色旗」はナポレオンの軍馬とともに、欧州を駆けめぐりました。緑白赤のイタリア三色旗はまさにそのナポレオンによってもたらされたものです。

(参照:大石義雄『新訂世界各国の憲法典』。また、駐日フランス大使館広報部のお世話になりました。)

メニュー