紅白の市松模様はクロアチアの国旗

クロアチアの国旗をうまく取り入れた振袖。右の紳士(たぶん駐日大使)が不要だなんて言わないでください。なかなかの友好・親善ぶりですね。

クロアチアは北はハンガリーに、南はアドリア海に沿って名勝ドゥブロブニクまで細長く伸びる国。ドゥブロブニクはアドリア海の海賊が拓いた石造りの美しい街です。かつて、東宮時代の今上陛下・皇后陛下が、共産圏を初めて訪問したのが、ユーゴスラビア。中でも気に入られたのがこのドゥブロブニク。ユーゴ戦争で大分被災しましたが、今では修復もなり、街全体が世界文化遺産になっています。

1918年にスロベニア、セルビアとともに独立、スラブの色である青白赤の横三色旗を採択しました。第二次世界大戦後は、チトーの下で独自路線を歩む社会主義国となり、国旗には黄色で縁取られた赤い星を追加しました。

チトー亡き後、1991年、クロアチアは独立を宣言し、セルビアを中心とする連邦軍と年末まで激戦を展開、一時、セルビア系住民の多いクライナ地方を失いました。しかし、1995年8月、そのクライナを武力で奪還、12月に包括和平協定を結びました。


クロアチアの国旗

国旗の中央にはクロアチア伝統の紅白チェックの「市松模様」の紋章(シャホブニツァ)があり、その上に左から古代クロアチア、ドゥブロブニク、ダルマチア、イストリア、スラボニアの小さな紋章を載せています。サホブニツァは13世紀にさかのぼるクロアチアの標章です。このお嬢様の着物の帯がそのサホブニツァになっています。

ところで、クロアチアはネクタイ発祥の地なのです。セルビアとの終戦直後、私も首都ザグレブのネクタイ屋さんで、イエス・キリストの生誕の様子を描いたものなど2本を求めました。

もっとも、これより先の1979年秋、1週間余の間ドゥブロブニクでの国際会議に参加したことがあります。会議が1日、休会となった日に、メキシコの皇帝マクシミリアン(オーストリアのフランツ・ヨーゼフの弟)のお墓を見ることにしました。

ドゥブロブニクの港から船で「マクシミリアン島行き」に乗船し、同行者がみな下船したので私もつられて降りたところ、そこは終点1つ手前、なんとヌーディストたちの島だったのです。早々にカメラはもちろん、一糸残らず身ぐるみ剥がされて、終日、岩の多い島で老若男女のドイツ人らと過ごすハメになりました。悪友たちは「いい思いをしたね」と冷やかすのですが、とんでもない。「不馴れでございますので」、眼のやりどころも、時間の過ごしようもなく、人生でこんなに退屈で虚しい1日を過ごしたことはありませんでした。

クロアチアはバルカン半島で古くから栄えた国。伝統の市松模様の国旗が、EU加盟国として翻る見通しができました。ユーゴ戦争での「戦争犯罪人」の引き渡し問題などをなんとかクリアし、2012年1月22日には国民投票でEU加盟に3分の2の賛成を得ました。議会によるEU加盟条約の批准を経て、クロアチアは来年(2013年)7月にEUの28番目、旧ユーゴではスロベニアに次ぐ2つ目の加盟国となる見通しとなったのです。

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