東京オリンピックと中国の核実験


『東京オリンピック大会公式記録』より

オリンピックの期間中にはあらゆる戦闘行為を停止したというのが古代ギリシャ人のしきたりであったそうです。はじめてこれを知ったときは小学生でしたが、私は感動しました。

長じて戦争史を学ぶにつけ、日露戦争でも戦場清掃(遺体や負傷者を運び出す)のための休戦があり、クリスマス停戦が第一次世界大戦などで行われ、独仏両軍の将兵がプレゼントを交換するということまでありました。ベトナム戦争でも「テト(旧正月)」の停戦がありました。

ところが、東京オリンピックが開催された期間、すなわち、1964年(昭和39年)10月10日の開会式から24日の閉会式までの間には、なんとこんなにも大きな出来事が続いたのです。

12日:ソ連が史上初の3人乗り宇宙船「ボスホート1号」を打ち上げ、(13日帰還)
14日:ソ連のニキータ・フルシチョフ首相解任、キング牧師のノーベル平和賞受賞が決定発表(受賞式は12月10日)
16日:大会不参加の中国が初の核実験
24日:英領北ローデシアが独立し、ザンビアとなる。

「ボスホート1号」は東京上空を飛行するにあたり、オリンピックに参加する「世界の青年に熱烈なあいさつを」送ったとされるが、あまりにソ連の政治的示威行動であり、素直に祝福する気にはなれませんでした。

ザンビアは開会式と閉会式とで異なる国名となり、閉会式ではZの国名のため、開催国・日本の選手団の直前に、一人残留した選手が行進しました。

その日の朝、夜明けとともに私は選手村に新国旗を届けに行き、「独立おめでとう!」と挨拶に行きましたが、もう、前夜から各国の選手たちとともに五輪の最終日でもあり、独立を祝い合って、徹夜の大興奮だったようです。競技場の国旗は午前8時に新国旗に付け替えました。

閉会式で新国旗を持って入場した選手は、このあとすぐ、各国の選手たちに肩車されて正面席の前を通りました。その後、難民を助ける会の仕事や青年海外協力隊の出張で何度もザンビアに行っているのですが、まだ、この選手には再会していません。

それにしても中国が東洋初のオリンピックのさなかに核実験をしたことについては、組織委の同僚・先輩たちとともに、大いに怒ったものでした。1973年の北京との国交回復以来、「日中友好」だの「熱烈歓迎」などという言葉を随分聴かされましたが、この核実験以来私はその欺瞞性とそれにやすやすと騙される日本人のお人よしに呆れていました。

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