韓国・北朝鮮合同チームの旗② – 南北統一旗と「ピンポン外交」

朝鮮半島の2つの国がスポーツの国際競技大会に合同チームや合同行進をするときの旗の話についての「続き」です。


韓国の国旗

北朝鮮の国旗

その後、南北両国は1990年、北京でのアジア競技大会で再び統一チームを構成しようと、89年にジュネーブで再び南北体育会談を開きました。しかし、そこでも旗をどうするかという問題が再燃し、折衝を繰り返した末、白地の中央に空色の朝鮮半島地図を描いた旗を正式に採択することを決定し、これを使うことになりました。


合同チーム旗

しかし結局、この北京でのアジア大会では、単一チームの結成は出来ませんでしたが、翌91年に千葉県で開催された第41回世界卓球選手権大会で、「統一コリア」チームが結成できましたので、この旗は初めて公式に掲揚されました。

これには荻村伊知朗国際卓球連盟会長(1932~94)の「ピンポン外交」が功を奏しました。これは国際政治学の「紛争予防外交」の典型的な例としてもよく知られています。荻村は54年の英国ウェンブリー、56年の東京での世界卓球選手権で優勝する等、12の世界大会での優勝者であり、87年に第3代国際卓球連盟(ITTF)会長に就任しました。その荻村は統一コリアチーム実現を強く働き掛けたのでした。「副産物?」は、この大会の女子団体競技でその統一コリアが優勝するという結果でした。表彰式では国家の代わりに「アリラン」が演奏されました。


選手時代の荻村伊知朗

「ピンポン外交」そのものはこれよりさらに20年前、当時の日本卓球協会会長で、アジア卓球連盟会長であった、愛知工業大学の後藤鉀二学長が、中国の参加によって名古屋での第31回世界卓球選手権大会が世界最高レベルのものと確信し、中国と太いパイプを持っている西園寺公一日本中国文化交流協会常務理事らの協力を得て、米中卓球選手の出会いを演出したのです。その場でも荘則棟選手が役割を果たしましたが、1972年2月にリチャード・ニクソン大統領が訪中して国交回復した際に人民大会堂で開催されたレセプションで荘選手が周恩来首相から大統領に紹介されるなど、米中国交樹立に大きな役割を果たしたのがそもそもの初まりです。「ピンポン外交」はキッシンジャー博士の秘密外交とあいまって、米中の国交回復を導きました。それまでに中国と国交を持っていたのはわずか32カ国でしたが、その後1年の間に100カ国以上が中国と国交を結ぶという画期的な出来事のきっかけを作った民間外交と評価されています。後藤会長は荻村の師匠に当たる人、20年後に今度は荻村が南北朝鮮の統一チームを成功させたということです。

しかし、その後は揺れ動く南北関係にもろに影響を受け、統一旗はしばらく掲揚されることはありませんでしたが、9年後、2000年6月13日から15日までピョンヤンを訪れた韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記が会談を行い、「南北共同宣言」が発表されるなど融和の進んだことを契機とし、同年9月のシドニーオリンピック開会式で韓国と北朝鮮の選手団が共同入場を行なった際に、「統一旗」は再び掲揚されました。爾来、「統一旗」は、スポーツ大会などで両代表団が「コリア」チームとして参加する際に掲げられる他、両代表を応援する際などにも頻繁に使用されています。

残念ながら、今年のロンドン・オリンピックでは「統一旗」どころではない、南北関係になっています。

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