幕末の国旗研究⑦ – 岩瀬文庫は幕末国旗研究書の宝庫(下)

斉昭のバックアップで『萬國旗章圖譜』

『萬國旗章圖譜(24.6×17.2㎝)』も幕末に出版された。木版彩色刷り和綴本で、今のB5版とほぼ同じ大きさで、42頁、「清国ニ始リ米利堅ニ終ル通計二百九十有一種」の旗を掲載しています。

水戸藩の蘭学者・鱸奉卿(またの名を重時、1815~56年)が嘉永4(1851)年に出版したものが版を重ねて、嘉永5年版が筆写のものも含めて今でも日比谷図書館近藤文庫、豊橋市立図書館などにある。広島市立浅野図書館にもあったのですが、原爆で消失したとのことです。さらに、嘉永7(安政元)年版は東大図書館に、ほかにも刊行年不明のものが内閣文庫、岩瀬文庫などにあります。

『萬國旗章圖譜』は、同書に漢文の推薦文を寄せている「水府(水戸)教官森蔚」によれば奉卿の「平生研究蟹行文字(ヨーロッパ語・・・ 吹浦注)」の成果とのことですが、当時の国旗研究の難しさを奉卿自身、次の序文で率直に認めています。

国ノ旗章アルハ人ノ姓名字号アルカ如シ、一日モ廃ス可カラス、関係スル所豈少カランヤ、近世地学漸ク行レテヨリ其専書陸続嗣出シ、輿地各国ノ形勢風土ノ沿革ニ至マテ人々能其詳ナルヲ知ルヲ得タリ、只其国地所用ノ旌旗ニ於テハ全修ノ譜ナキヲ憾トスルノミ、是此挙アル所以ナリ、然トモ詳略其平ヲ得サル者ハ只採拠ノ及所ニ従ヲ以ナリ、

ライオンも象も知らなかった絵師

『萬國旗鑑』と『萬國旗章圖譜』の双方がそろっている早稲田大学の図書館で両方を比較して見ると、軍配は前者に上がります。その差の一番は気の毒ですが絵師の力にあるといえましょう。後者の図では紋章のライオンがどう見ても犬か狐に、象の足が馬か豚にしか見えないのです。しかし、それは無理もないことです。絵師がこれらの動物を見た可能性はまずないからです。

そういえば、京都の二条城や曼殊院の狩野派の虎の襖絵も、「朝鮮あたりから献上された皮から想像して描いたもの」と聞きました。

だから国旗図の動物も基になった図の細密な部分に神経を集中させて写し取らないかぎりその動物の姿を知っている私たちの目にはおかしな形に映ってしまうのです。ただ、「ユニオン・ジャック」の十字の微妙なズレとか星の稜の数などが、例えばチリ国旗の星が六稜星という具合いでアバウトなのです。「星条旗」の条は13本ですが、星の部分が青1色で塗りつぶされています。もう少し、神経を細かく、というのは後世からの過剰な注文なのでしょうか。

もっとも「星条旗」については今から見れば『萬國旗鑑』もひどいものです。紅白計10本の条に八稜星8個というのですから。

「フェートン号事件」で国旗研究が

以前、私は幕末に国旗本が刊行されたのは、開国したわが国官民が“外国船識別のためという必要に迫られたため”と漠然と考えていました。ところが、詳しく調べてみると、実際にはペリー来航のはるか以前から私たちの先祖は外国旗について調べていたのです。

その大きな原因を私は相次ぐ外国船の渡来、なかでも、イギリスがオランダの国旗を盗用して長崎に入港した「フェートン号事件」(既述)と考えます。国旗を偽って用いることはもっとも卑怯なことであり国旗法にも反し、厳に戒しむべきことですが、1808(文化5)年8月に起きたこの事件は、まさにその典型です。

事件があった19世紀初頭を含む近代は、イギリスが「太陽の沈むことなき国」として世界の海をわがもの顔に制覇していった時代です。この事件もそうした世界情勢の激動のなかでのいまわしい歴史の1コマだったと言えるでしょう。

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