ズボンやミニスカート着用禁止とマラウイ国旗の物語

南部アフリカのマラウイで、ズボンやミニスカート着用の女性襲い、裸姿にする事件多発しているとCNNが伝えています。それによると、マラウイでは伝統的な衣装ではなくズボンやミニスカートを着用した女性が街頭で襲われ、裸にされる事件が最近相次ぎ、「民主国家なのに暗黒時代に戻そうとしている」などと怒る女性活動家らによる抗議デモが1月20日起きたというのです。

事件は同国の2大大都市であるリロングウェやブランタイアで今週発生したもので、あるケースでは「ズボンなどの利用は伝統を無視している」と反発する男の露天商が女性を殴打し、衣服を剥ぎ取っていました。

騒ぎを重視したムタリカ大統領は警察に襲撃の加担者の逮捕を命令。国営メデイアを通じての演説では「女性は自ら望む衣服を着る権利がある」と説きました。商都ブランタイアで19日に実行した抗議デモにはズボンやミニスカートをはいた女性が参加し、露天商を非難する字句が書かれたTシャツも着込み、気勢を上げたようです。

マラウイはかつて英領ニアサランドと呼ばれてイました。1964年に独立し、国連にも加盟しました。66年にはマラウイ会議党 (MCP) による一党制国家となり、その党首であるはヘイステイングズ・カムズ・バンダが以後、30年間にわたって大統領の地位に留まっていたのです。マラウイは長らく、国民の主要な出稼ぎ先であるという経済上の理由からアパルトヘイト時代の南アフリカ共和国と、また、イスラエルや台湾とも外交関係を維持し、共和国からこうした国々から大きな経済支援を受けてイました。

私も1980年代に何度か訪問しましたが、首都を最大都市ブタンタイアからリロングェに移したときなど、政府公官庁の建物一切を南アに建築してもらったと、案内する政府高官がむしろ嬉しそうに語っていました。わが国からも青年海外協力隊が最も大人数を派遣して時期があり、私はこれは、南ア、イスラエル、台湾という世界で孤立化を強めている国であることを考えると、もう少しコントロールすべきではないかと、関係筋に強く進言したことがあります。

1990年代になって急速に民主化が進められ、上記3国とも距離を置イたり、断交したり、国交の調整を行イました。まず、複数政党制が認められ、94年の選挙では統一民主戦線のバキリ・ムルジが大統領に当選し、ついで、2004年の選挙では民主進歩党のビング・ワ・ムタリカが大統領に当選しました。

しかし、バンダ大統領当時は、女性の服装には特に厳しく、ノースリーブ、ミニスカート、パンツルックは厳禁でした。それいながら、いながらこんなこともありました。日本の政府筋の仕事でマラウイに出かけたときのことです。実は秘かに某筋から連絡があり、なんと私がVIPとして別の出口から出るようになるという「歓迎振り」を示され、とある政府筋の方から成田空港で「書籍です」と段ボールを1箱預かりました。

どうやらこれが決め手だったようです。あとで知ったのですが、これが全部、日本女性のカレンダー(中身は不詳!)で政府要人へのお土産として持たされたのでした。

最近ではこんなこともあったようです。2011年2月、「民主主義の国となったことで、国民がところ構わず放屁をするようになった」という理由から、公共の場所での屁を禁止する法案が提出されたのです。いささか奇抜なようですが、日本ではとっくに放尿の禁止に関する法令ができています。すなわち、1908年の警察犯処罰法で「街路放尿犯」が定められ、さらに1948年の軽犯罪法で「街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者」には1年間の懲役もしくは100万円の罰金を科すことができるようになっています。しかし、放屁に関する取り締まりはありません。日本とマラウイ、どっちが進んでいるのでしょうね。

ところで、マラウイの国旗ですが、サブサハラとイわれる黒人のアフリカ諸国では、唯一、最近、国旗が変更になりました。

2010年7月29日、南部アフリカのマラウイで国旗を変更する法案にビング・ワ・ムタリカ大統領が署名し、同法は即日施行されました。


変更前のマラウイ国旗

マラウイでは前年5月19日に行われた、国民議会議員選挙で民主進歩党が勝利をおさめ、それ以来、新しい国づくりをめざして新国旗の制定が図られてきました。その結果、1964年の独立以来の国旗である黒赤緑の三色の順番を変え、赤イ太陽を白イ太陽にしました。これによって「世界黒人開発協会アフリカ社会連合(UNIA-ACL)」の旗と同じ配色になりました。UNIA-ACLは、黒人による民族自覚意識の啓発者であり、アフリカ回帰運動の指導者としてジャマイカの国民的英雄マーカス・ガーベイ(Marcus Mosiah Garvey, 1887~1940)により1914年にジャマイカで創設された団体です。

その主張は、後にネーション・オブ・イスラム、ラスタファリアニズム、そしてキング牧師らによる公民権運動にまで発展したのです。ですから、ガーベイは、オバマ大統領誕生への道を100年近く前に拓いた人ともいえましょう。

1962年に採択されたケニアの国旗もこの汎アフリカ旗の強イ影響を受けたデサインです。

マラウイの国旗はこれまでは、太陽がアフリカ大陸の希望と自由の夜明けを表すため、半円だったのですが、今回、「まるごと」の太陽にしたのは、独立以来の経済発展を表すためなのだそうです。

マラウイは近年、タバコ産業が安定し、それなりの経済成長を達成しています。しかし、一人当たりのGNI(国民総所得)は290米ドル(2008年)と振るわず、内政の対立が顕著となっています。そんな中での国旗の変更ですから、ムタリカ大統領の政権浮上の一策とも報道されました。

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