旧ソ連の国々② – ベラルーシは独裁「大国」

旧ソ連でソ連構成時代の国旗とよく似ている国旗を今でも採用しているのはベラルーシ(旧白ロシア)だけです。この国は1991年末のソ連崩壊直後から95年までは白地の中央に赤い横帯という国旗でしたが、モスクワとの微妙な駆け引きの中で、旧白ロシア社会主義共和国時代の国旗から鎌と槌を除いた国旗に戻りました。


1951~91年までの白ロシア社会主義共和国の国旗

ソ連崩壊直後の1991~95年までのベラルーシの国旗

1995年から現在までのベラルーシの国旗

ソ連崩壊後の1994年に実施されたベラルーシの大統領選挙で、アレクサンドル・ルカシェンコ(1953~)が当選しました。ロシアとの再統合を挙公約として掲げていた同大統領は、翌年、ソ連時代のベラルーシの国旗から鎚と鎌に赤い星という標を取り除いただけの、いかにもソ連への回帰を希望するかのようなデザインの国旗に変えました。そして、1999年12月8日に、ロシアのボリス・エリツィン大統領(当時)と、将来の両国の統合を目指す連邦国家創設条約に調印し、ルカシェンコは翌2000年1月に「連合国家」の初代「最高国家評議会議長(国家元首)」に就任しました。しかし、それが実行的に作動できないうちに、エリツィンは引退し、後を継いだ、プーチンはベラルーシを事実上、吸収する形での合併を示唆する発言を繰り返したため、関係が悪化し、両国の統合話は完全に宙に浮いてしまいました。2004年には憲法の3選禁止条項を撤廃し2006年に3選、2010年に4選を果たしました。しかし、いずれの選挙でも不正が公然と行われているというのが実態です。それでも、ルカシェンコはEUとロシアの中間点に位置するという地政学的な優位さに基づく巧みな外交で、双方に揺さぶりをかけ、特に、ロシアはこの「ヨーロッパ最後の独裁者」に翻弄され、辟易しているというのが実態であると言えるでしょう。

ルカシェンコ大統領はその後、独裁者のようなでかい態度を示し、「大国ベラルーシをしかと評価し、ロシアの対等なパートナーであることを認識せよ」といった尊大な振る舞いをするようになり、誇り高いのは結構ですが、ロシアはこの「大物」政治家にうんざりしてしまったのは事実です。プーチンを継いだメドベージェフ大統領は、2010年10月3日にこうしたルカシェンコ大統領の態度を自分のブログで厳しく批判しました。そればかりではなく、2010年12月の大統領選挙に際してルカシェンコは、野党の候補者を押さえつけるような行動を行い、挙句には当選後、相手候補を拘束するというおよそ民主主義の基本原則を踏みにじるような独裁者ぶりを発揮するようになりました。このため、ベラルーシに対してEUとアメリカが制裁を決定するなど、ベラルーシはロシアとの関係がこじれているだけにとどまらず、国際社会からも孤立の度を深めています。

政治の混乱だけにとどまらず、ベラルーシの経済は長期低迷し、「深刻な危機的状況」にあるのです。これにはさすがに、これまで押さえつけられてきた市民の間で政権への抗議運動が起こるのは無理もありません。ただ、その抗議の仕方は一風変わっていて、市民たちは無言で拍手をしながら街を練り歩くだけと言うのです。もしかしてこの静かな抗議の強さをこの人たちは確信して実行しているのかもしれません。

同じく国連の原加盟国という特殊な地位を与えられてきたウクライナとは大きく趣を異にし、ベラルーシは旧ソ連構成国の中でも、孤立の度を深め、経済危機は一向に改善される様子もありません。

ベラルーシを除く他の旧ソ連構成国の現在の国旗は、いずれもソ連時代の国旗を全く連想させないデザインです。モスクワ中心の中央集権・一党独裁のソ連がいかに構成国にとって無理なものであったかを、この国旗の激変でも感じることが出来るといえましょう。

しかし、経済の立て直しがなければこれらの国の発展はおぼつかないことは言うまでもありません。旧ソ連邦構成国の中ではグルジアに限らず、ウクライナはロシアか欧州かで激しく揺れ、中央アジア諸国には、東隣の中国の影が大きく忍び寄っています。

1991年に崩壊したソ連の15の元構成国にしてみれば、事態の急な展開に産業構造や社会体制の変革が歩調を合わせるのは容易ではありませんでした。また、かつてのソ連国民一人ひとりにとっても、心の準備ができなかったという人もたくさんいました。国がなくなってしまった喪失感と民族国家としての独立の喜びとがアンビバレントに混在していた人が多かったのではないでしょうか。まして、連邦内の別の国に生活基盤を持っていた人とその家族にとっては、故国に帰るか、今の居住地の国籍になるかは大問題でした。

産業構造は大混乱でした。例えば、綿花の生産国、それを糸にする国、布に織る国、デザインして衣料品にし、消費する国がそれぞれ別だったり、機械の部品が別々の国で生産されていて完成品ができにくかったり、農場で野菜を作る国と肥料を生産する国が違い、輸送体制がうまく動かないといった調子で、ほとんどどの部門も立ち行かない状況になり、モスクワの市内でも生活必需品や食料がなかなか手に入りにくいという困窮状態になったのです。

これではいけないと、ロシアが中心になってなんとか経済の再建を図ろうとしましたが、ロシアそのものも石油・天然ガスをはじめとする化石燃料や鉱物資源に依存して「ものづくり」が全く振るわなくなってしまいました。Made in Russiaというもので世界に通用するのは、「宇宙ロケットと核しかない」「ウォツカとマトリョーシカ(組み込み人形)くらいだ」と言われるほどになってしまいました。

ちなみに、このマトリョーシカは本来、箱根や鎌倉の組み込み人形をソ連の人が持ち帰って、それをヒントに考案したものです。詳しくは、横浜の人形博物館でご覧を。そこでは確か18個が組み合わさっているものが「世界で一番多い人形数のマトリョーシカ」として展示されています。余談ながら、私の手元には一番大きいものでも高さ20センチほどでありながら何と28もが入ったマトリョーシカ2組あります。ソ連の経済崩壊期にモスクワのレーニン丘(ナポレオンが攻めこだ時の「雀が丘」)で作者から購入しました。

閑話休題。実際に、モスクワのスーパーマーケットに行っても、連邦崩壊直後から今日まで、文房具・家庭用品から肉・野菜まで、ほとんどヨーロッパからの品物という状況が続いています。それぞれの棚の上に生産国の国旗が張られているので、私には一目瞭然、但し、そこにはロシアの白青赤の三色旗のついた棚がほとんど見当たらないのです。

経済の破綻、原油価格の低迷、資源に頼って「ものづくり」も労働もしない経済構造を「サウジアラビア化」といって警告する学者もいますが、現実への対応で忙しいというのが実情のようです。

20年経った今、政府もこれではいけないということで、プーチン首相が「ユーラシア連合」を提唱し、旧ソ連諸国の経済的再統合を促進しようとしています。基盤となったのはロシア、ベラルーシ、カザフスタンの3国による関税同盟で、これを2012年1月から、人、モノ、サービスを自由化して「統一経済圏」に発展させようとしているのです。これより前、2011年10月には旧ソ連8カ国が自由貿易圏条約に署名しました。

プーチン首相の呼びかけに同意する基本には、
①ソ連のような国家再統合はしない
②かつてのような経済提携を復活させ、その活性化を図りたい
③ロシアという巨大な市場に魅力がある
④エネルギーなど国家の基本的な部分の多くをロシアに頼らざるをえない
⑤頼りにしていたEUが通貨危機や財政危機に見舞われて期待しがたい
といった思惑や見通しがあるように思われます。

しかし、ロシアでもかつての特権階級と貧困層という二重構造の中から、中間階級が次第に育ってきたし、情報の開放と旧西側諸国との経済交流の拡大で、独自の経済運営ができる状況ではなくなってきています。18年間の厳しい交渉の末、WTO(世界貿易機関)への加盟も決定しました。これによって保護関税制度によって国内企業を保護したり、強引な禁輸政策で自国の製品を強要するわけにはゆかなくなります。北方領土問題を抱えている日本からもトヨタ自動車をはじめさまざまな企業が進出したように、ロシア経済は世界経済の一員としてその中に組み込まれつつあるのです。

「ユーラシア連合」がロシアのためにしかならないような運営になってゆけば、加盟国のモスクワ離れを食い止めることは至難であろうと思います。

他方、EU加盟を果たしたバルト3国、とりわけ、ユーロを採用し、年8%もの成長を遂げているエストニアのような旧ソ連の国が出てくることは、各国にも大きな動揺を与えています。

ソ連時代の末期からロシアでは急速に政治的な自由を優先する政策に転換しました。ペレストロイカ(大転換)、グラスノスチ(情報開示)といった民主的な政策です。これに対し、中国は改革・解放政策で経済的な自由は大きくしましたが、今でも国民に集会、結社、表現などといった基本的な政治的自由を与えてはいません。ロシアは少なくとも表面的には民主的な原則を尊重していますが、中国は一党独裁国家です。

国旗で見ればロシアは帝政時代の三色旗に戻ったのですが、中国の「五星紅旗」は国中に翩翻と翻り、中国共産党が全てを抑え込んでいるといっていいのではないでしょうか。

旧共産圏の2つの「大国」はこれからも比較しながら見て行きたいものです。

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