モルディブ

2月10日付の毎日新聞に共同通信からのベタ記事ですが、「前大統領ら2人に逮捕状 モルディブ」という記事が出ていました。政情不安が続き8日に、野党支持者らのデモ拡大を受けた政変で辞任したナシード氏らに、モルディブの裁判所が逮捕状を出したそうです。同氏は首都マレの自宅周辺に集まった200人尾支持者を前に「ここで何が起こっているかを国際社会は注目してほしい」と訴え、新政権や軍、警察による政治的弾圧との認識を示したそうです。

モルディブ共和国。新聞ではこのようにモルディブですが、しばしばモルジブとも表記されています。出勤途中、JTBの入り口前に、「春休み特割・インド洋の楽園モルジブ6日間、22万円」というパンフレットが並んでいました。日本ではとかく海外旅行の人気スポットとしてしか知られていません。しかし、人口が激増中とはいえ、40万足らずの島国、それでも独立国となると複雑な歴史と問題を抱えているのです。

この国ではサンスクリット語がアラビア語の影響で変化したディベヒDhivehi語というのが公用語ですが、この言葉の原意は「島に住む人」だそうです。

インド洋ではセーシェルズとモルディブが2大リゾート地として人気です。セーシェルズはケニアなどアフリカ大陸から1,300kmほど離れたインド洋に浮かぶ115の島々からなる国、一方、モルディブはインドから南へ600 km、26の環礁をなす1,190もの島が点在しています。それでも面積は全体で約300㎢、日本で言うと「北方領土の色丹島や沖縄県の西表(いりおもて)島をひとまわり大きくしたくらいの広さ」という「小ささ」です。前者は主としてヨーロッパやアフリカからの人たち、後者はアジア、特に日本やインドからの観光客に人気のようです。GNPの3分の1、外貨収入の6割が観光に依存しています。

モルディブの島々で実際に住民が暮らしているのは199島。内、約半分がリゾート用に開発された島で、外国人観光客はそれ以外の島に行くには特別の許可を得なくてはいけません。

国旗の中央に三日月があるように、国民のほとんどがイスラムを信ずる人たち。敬虔な信仰を守るため、アルコールや派手な服装はリゾートになっている島でのみ可能です。一番近い国がスルランカですから、古くはそこから渡って来た仏教が盛んでしたが、次ぎに商人等としてやってきたアラブによってイスラム化したのでした。

1558年、この島々にポルトガル人がやってきましたが、英雄として称えられているMd. タクリファースのもとに激しく抵抗し、15年経ってポルトガル人を追い払いました。ついで、オランダやイギリスが支配しましたが、実際の経営はスルタンが担っていました。
モルディブの経済は依然は特産品の鰹節です。インド亜大陸とその周辺ではカレー料理にこのモルディブ・フィッシュという鰹節が愛用されているのだそうです。

第二次世界大戦が始まるとそのスルタンが米の買い付けと称してインドに事実上、逃亡しました。その間に肝腎の鰹節が倉庫の管理が悪く、虫に食われて売り物にならなくなり、加えて、スルタンの乗った船が日本海軍に撃沈されてしまいました。戦後、1953年になってスルタンの政治からようやく共和制になりましたが、鰹節の輸出に頼る経済構造はしばしば腐敗、虫食い、権力者の汚職で国民を苦難に陥らせ、戦中・戦後には餓死者も随分出たようです。

65年、英国から独立したモルディブですが、歴代の大統領が公金も持ち逃げしたり、1988年11月3日には、国内の実業家が雇ったPLOTE傭兵部隊によるクーデター未遂事件が起こり、スリランカ軍、ついでインド軍の介入という事態が続きました。20世紀の末になってようやく観光立国に成功したのでした。それでもその後も非常事態宣言が出されたり、津波で多くの人々がなくなったり、さらには2007年9月29日、マレで、爆弾テロがあり、日本人2人を含む外国人観光客12人が負傷するという事件もありました。2008年1月8日に、今度は北部のホアラフシ島で大統領暗殺未遂事件があり、15歳のボーイスカウトの少年が犯人を制止し少年は腕を負傷してしまいました。2008年になって、初めて民主的な選挙が実施され、ナシード氏が大統領に選出されたのですが、今回はその副大統領がクーデターの中心になったようです。依然、政治的に混乱が続いていることは最初の毎日新聞の報道でも明らかです。

日本からは新婚旅行や卒業記念旅行に出かける人がとても多く、私の周りにも10数人、この国に行ったことのある人がいますが、83カ国を訪問したタディですが、どうも観光が苦手(ホントウは水泳が苦手)ですので、こういう「退屈な国には行ったことがありません!」と豪語しています。でも、本当は是非、行ってみたい国の1つなのです。

というのは、観光客以外に実は日本とはいろいろ関係があるのです。

観光客とスルタンの乗船した船の撃沈もさることながら、この国の国土そのものの安全を日本が守ってあげているのです。平均した土地の高さは海抜1mほどで地球温暖化による海面上昇も長期的には憂慮される国ですが、当面は地震による津波対策が喫緊の課題です。

2004年12月26日のスマトラ沖地震でモルディブは大きな被害を受けました。マグニチュード9.1~9.3といわれるこの地震ではモルディブにも10m超える津浪が押し寄せ、74名が死亡し、首都マレ島の3分の2が冠水し、空港では航空機が押し流され、電話や交通網が寸断されました。しかし、マーレでは日本のODAなどによる護岸工事が有効に機能し、被害を最小限に食い止めたと言われています。

しかし、人口急増中のモルディブではマレなどに人口が集中する傾向にあり、過密さは安全上の問題と見られています。また、人口島や避難ビルの建設とともに護岸工事が進めば、せっかくの「売り物」である海の景観を阻害することにもなり、モルディブ政府はこの悩ましい課題の解決を日本や他の先進国と相談しながら進めているところです。

モルディブにいらっしゃるみなさん、くれぐれも津波には気を付けてください。

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