宮崎くんを悼みつつトルコ国旗を思う

少々不謹慎な話かもしれませんが、お許しを。

月と星の旗は、イスラム教国の国旗にしばしば登場します。

2011年10月、トルコで大きな地震があり、その救援活動中に、余震で宿泊していたホテルが倒壊して亡くなった、難民を助ける会(AAR)の宮崎淳くんの「おわかれ会」が、12月6日、日本青年館で開催されようとしていました。


宮崎くんから支援物資を受け取って帰路に就くトルコの少年。

私は同会が1979年11月に創設される以前の設立準備会から参画し、かつては副会長、還暦を迎えた時、第一線から退き、現在は特別顧問として参画しています。NPOとはいえ、創立33年目の今年度は、東日本大震災のこともあり、約30億円の浄財で活動しています。

ところで、トルコと日本とは1890年(明治23年)9月16日夜半の「エルトゥールル号」遭難事件の際に、和歌山県串本町のみなさんが献身的な救助活動に当たり、多くの船員を救って以来、実に親密な関係が続いているのです。2011年3月の「東日本大震災」にあたっては、トルコから日本が大きな援助をいただいています。

今回の宮崎くんの急逝に際しても、トルコ政府や多くの国民から思い遣りに溢れる哀悼の意が寄せられご支援、ご協力をいただきました。
「おわかれの会」には、アリババジャン副首相が出席するという知らせを、駐日大使館から早々にいただきました。その副首相の到着が遅れたため、「おわかれの会」は開会時刻が少し遅れるというアナウンスがありました。

そこで私はあらためてまず壇上の遺影を見ながら、彼の活躍と志、不運と無念さを思い黙祷しましたが、その左に掲げられた日本とトルコの国旗にしばし目が行ったのは、国旗研究者としての習性としてご寛恕いただきたいのです。

トルコの国旗は赤地に白い月と五稜星。昔々、オスマン・トルコと言われた頃のトルコの勢力は、東は今の新疆ウイグル(東トルキスタン)から西はイベリア半島まで拡大した時代があります。その広大な地域からは多くの国が独立しましたが、今に至るも、トルコの宗教・文化・言語などの影響が大きく残っているのです。

それは国旗についても同じです。西は、西サハラ、モーリタニア、アルジェリア、チュニジア、リビアの国旗に、東は東トルキスタン、パキスタン、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、マレーシア、ブルネイ、南はモルディブ、コモロに至るまで、広大な地域の国旗に三日月や星が登場しています。ヨーロッパの国では、クロアチアやモルドバの国旗に三日月が見られます。

副首相の到着がさらに遅れるというので、場内がシーンとしている中で、私の思いは、月と星の和歌の世界に飛翔しました。

月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる

作者は、建礼門院右京大夫。「今までは月を愛でることばかりにとらわれてきたが、星月夜のなんと心に染み入ることか、今、それが分かった」といった意でしょうか。作者は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての女流歌人。高倉天皇の中宮である建礼門院に仕えた人です。

壇ノ浦の合戦(平安時代末期の1185年4月25日)で亡くなった平家の貴公子・平資盛の恋人でもあったようです。その後、右京大夫は出家して尼になりましたが、その寂しさを紛らわそうと、作者は旅へ向かい、その途次に詠んだ歌がこれだと言われています。

月と星、古来、日本では圧倒的に月が愛でられてきましたが、そこにこの短歌。私のような鈍感な21世紀人でも、数年前、この思いの新鮮さに感じ入ったのでした。

あ、アリババジャン副首相が到着したようです。姿勢を正し、今度は、しっかり宮崎君への追悼の思いにふけりました。

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