ミャンマー国旗物語③


日本が強力な後ろ盾となっていた1943~45年の国旗。

独立後、1948~1974年までの国旗。
アウンサンスーチーさんや亡命政権は今もこの国旗のみを認めている。

1974~2010年までの国旗。
社会主義を標榜する軍事独裁政権が採択した。

2010年11月に採択された現在の国旗。
政権による民主化への新しい取り組みの第一歩だったのか。

大統領は憲法改正で国民投票、その後国政選挙、大統領就任後は猛烈なスピードで民主化をはかり、それまでの中国一辺倒から、中国との関係悪化も覚悟の上でスーチー女史が反対する中国資本による中国向け電力用のミッソンダムの建設中止を表明。スーチー女史率いる野党NLDの政党登録を認めただけでなく彼女の国政参加をも認める英断をし、ヒラリー・クリントン国務長官の訪問も歓迎した。

アメリカ政府は議会との関係もあり、経済制裁解除までは多少の時間が必要であるが、英国は近々支援活動を大幅に拡大する予定で、EU首脳も同調の方向である。

日本は親日国ミャンマーに対し、軍事政権時代より同盟国アメリカの追随外交から半歩も前進できず、ミャンマー政府を再三再四落胆させた経緯がある。筆者はその辺の事情を詳しく知る者の一人として、日本政府は、中国、韓国に大きく後れを取っている支援活動を今こそ大胆に実行してもらいたいと願っている。

韓国は既にラカイン州の沖合で天然ガスを発見。2年後の商業生産に向け着々と準備が進んでいるという。

大統領も中国・韓国に遅れをとらないように、日本からの支援と積極的な企業進出を期待していた。特に農民の生活向上に日本からの農業技術支援を強調された。人口70億人の時代。間違いなく食料不足の時期が来る。中国は既に食糧の一部を輸入しており、穀物価格はここ2~3年で2倍から5倍に高騰している。

米の2~3毛作が可能なミャンマーにとって、米は有力な輸出商品である。日本の敗戦直後の食糧難の時代にたびたび無償で米の支援をしてくれた国、戦争賠償金の請求を放棄した国、ミャンマーのような親日国の存在を日本人は深く心に刻み、忘れてはならない。

大統領の強力なリーダーシップは、長く閉ざされた国から民主化を進めて国際社会の一員になろうとする並々ならぬ情熱と決意を感じた。長い軍事政権が続いたミャンマーでは行政の末端まで軍人が支配してきた。この軍の圧力が簡単に消滅したわけがなく、陰に陽に圧力は続くであろう。また、スーチー女史の更なる民主化圧力も強く、国際社会は大統領の一挙手一投足に注視している。

「外国人メディアの支局開設は2013年頃には可能か」との筆者の問いに、「現在法律を整備しているところだ。なにしろ民主政権誕生してわずか8カ月だ。難問山積み。少し時間をくれ」とは率直な答えであった。

我々は2014年、ミャンマーで開催予定のアセアン・サミット支援のため、外務省を中心とした人材養成は勿論のこと各種人材養成を強力に拡大する中で、国会議員の定期的訪日団の受け入れについても提案し、大統領は日本財団、笹川平和財団の民間からのアプローチに満足の意を表明された。

ミャンマー国旗物語①
ミャンマー国旗物語②

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