金正日総書記の柩を覆った旗


ソ連の国旗

金正日総書記の棺を覆った朝鮮労働党旗。
朝鮮式の鎌と槌、中央は知識階級を表す筆。

インド共産党旗

中国共産党旗

ベトナム共産党旗

日本共産党の党証。
歯車は労働者階級を、稲穂は農民を表している。

「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の2代目指導者キムジョンイル(金正日)総書記の柩が国旗ではなく、赤い旗に黄色の<模様>の付いたもので覆われていたのはなぜか」という質問を鹿児島県在住のYさんという高校教員の方からいただきました。

結論から言いますと、あれは朝鮮労働党の党旗です。

もともとは槌と鎌というソ連共産党の党旗や国旗の影響でもちろん労働者と農民の団結を表したものです。

鎌の形がロシアの農民が通常使用していたものなのはそのためですが、この「模様」が世界中の共産党やそのほか社会主義や共産主義を標榜する政党の党旗に採択されました。

日本共産党は、今では、外国の同様の名前の政党から影響を受けない独自路線を進むことになっていますが、その党旗や党章は各国と全く同様のものです。
党名もまたしかりです。
「赤旗」は今も日本共産党の党旗であり、機関紙は「アカハタ」です。
中国語では「赤」はredよりも、純粋さを意味する単語(日本語でも赤誠、真っ赤なうそ、赤ちゃんなど)のため、「紅旗」とし、国旗は「五星紅旗」と呼びます。

赤旗はもとはといえば、フランスにおいて戒厳令発布を示す旗でした。
革命初期の1791年、パリのシャン・ド・マルス広場に集まる急進的革命をめざすグループを、ラファイエット将軍が弾圧した事件がありましたが、逆に、これに対する抗議として革命派が赤旗を革命旗に採用したのが始まりとされています。
特に、1848年2月にはティエールら自由主義的立憲王政をめざす人々が三色旗を掲げる中にあって、一部にルドリュ・ロランのように急進的な共和政権をめざす勢力があり、さらには社会主義を目指す人々が赤旗を用いました。
こうした中でティエールは「赤旗はサンドマルス広場を一周したに過ぎないが、三色旗は世界を一周した」と誇らしげに語って、革命の収拾にあたりました。
結局、この「二月革命」はオルレアン王朝のルイ・フィリップ王のロンドン亡命という形になり、混乱の中でやがてルイ・ナポレオンが皇帝の地位に就くという展開になりました。
この後、赤旗は一躍革命を象徴する旗とされ、この「二月革命」がドイツ諸国やウィーンなどにも影響を与え、この一連の動きが近代政治史における画期的な動向とみなされ、赤旗は、こうした階級闘争の継承者と称する社会主義や共産主義団体、さらには1917年のロシア革命後は、特に社会主義政党の支配する国の国旗や、共産党、労働党といった政治勢力の旗に採用されています。
そして、革命運動で流された血を赤が象徴しているという説明もなされました。
また、一時は日本でも労働組合においても、労働運動を資本家との階級闘争であるとして、かなりの割合で赤旗が採用された時期がありました。

なにはともあれ、金正日総書記の柩が党旗で覆われていたということは、あの国にとっての労働党旗というものの特別の意味や意義を示しているものであるということでしょう。

おことわり:この欄における旗の大小や上下には何ら政治的な意図や思惑などはありません。

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