朝日新聞の社説に疑問

各国それぞれに国旗があるように、「日の丸」は日本の国旗だ。

4月15日付の朝日新聞は「国旗国歌 大学への不当な介入だと」以下のように社説で掲げた。

「学問の自由」が保障されない社会に未来はない。「大学の自治」はそのための原則の一つである。

ところが安倍首相は、国立大学の入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱について、参院予算委員会で「正しく実施されるべきではないか」と述べた。

下村文科相も「各大学で適切な対応がとられるよう要請したい」と語った。

政府による大学への不当な介入と言うほかない。文科省は要請の方針を撤回すべきである。

まず安倍首相である。国立大が「税金によって賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって」実施されるべきだとの考えを示した。

「基本法の方針」とは「我が国と郷土を愛する態度を養う」という目標を指したつもりだろう。だが、基本法は大学について「自主性、自律性が尊重されなければならない」と定めている。これを忘れてはいないか。

カネを出しているのだから、政府の言うことに従えといわんばかりの論法は乱暴すぎる。国が補助金を出している私立大にも同じことを求めるのか。

文科相は要請の根拠として、国旗・国歌法を挙げた。この法律が成立する際、政府は「国として強制や義務化をすることはない」と答弁したはずだ。

なのに文科省は小中高校の学習指導要領に基づき、国旗と国歌を徹底するよう求め、実際に全国の学校での実施状況を調べた。各地の教育委員会も処分を掲げて締めつけを強めた。

今回、文科省は国立大86校の卒業式や入学式を調べ、国旗掲揚や国歌斉唱を行ったのはどこかをつかんでいた。実態を調べていたこと自体、驚きだ。

文科省は「大学に強制や指導はできない」として、国立大の学長が参加する会議で要請することを検討中だという。

大学には当然、自主性を貫いてもらいたいが、足元には厳しい現実もある。国立大学は法人になっても、主な収入の柱を国の交付金に頼っている。

そのうえ文科省は、国が用意した改革に取り組む度合いに応じて、交付金を配分する姿勢を強めている。今回の要請を拒めば、予算に響くと大学が心配しても不思議ではない。

大学は国の言いなりに教育を行う機関ではない。政府の意向や社会の価値観など一切に縛られず、自由で多様な研究を深めてこそ学問の価値が保たれる。

そんな敬意もなしに介入しようとする政権の姿勢は、大学の空気を一変させかねない。首相と文科相は猛省すべきである。

私はこれに異論を唱える。大学における学問の自由は大いに尊重されるべきものであるということは言うまでもない。自由な研究亡くして真理の探究はあり得ない。

さはさりながら、大学が学問以外に社会的に無法・無秩序であっていいわけはない。教職員の給与は基本的に国家公務員の給与体系で決まっているが、これも好き勝手に分配していいわけではない。校舎の建造・増改築も国の予算で全体を眺めながら順次実施されるのであって、各大学が自治の名で好きにやって、つけを財務省に回せばいいというものではない。

国旗国歌を認める認めないは各大学が決めることではなく、国会で決定した法律である。それが嫌だというのはあくまでも少数意見であって、尊重はするが、決まったら多数に従うべきであり、これは学問の自由とは無関係であり、法律を尊重するか否かや法律を大学ごとに問う自由などない。「日の丸」を国旗であると国会で決めたら、それが嫌な人は法律改定運動でもおこせばいいのであって、法律がある以上、法そのものとその精神を尊重すべきである。車で左側を通行するのが嫌だと言っても道交法は尊重してもらわないと困るのと同じだ。

国旗の取り扱いはその大学の経営主体(国立大学ならば文科省)が決めることであり、もちろん各大学にいっさい「従わない自由」なしとは言わないが、多数の意見こそまずもって尊重すべきである。国の方針に従わない国立大学に、国が他の大学と同様に交付金を支給することの方がおかしい。それがいやならその大学は私学になり、経営主体となるべきだ。

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