国立競技場の記念物をむやみに残す必要はない

いよいよ全面改築が始まりそうな現在の国立霞ヶ丘競技場(国立競技場)にはいくつかの「名物」、もとい記念になるものがある。聖火台、電光掲示板、織田ポール、正面座席上のモザイク画、そして学徒出陣記念追悼碑だろうか。全面改築に伴い、それらの行き先や運命が心配されている。


オリンピックシンボル

相撲の開祖「野見宿禰(のみのすくね)像」

月桂冠とオリーブの枝を持ったニケの女神像

1964年の東京オリンピックの組織委で式典課専門職員として勤務した私としては、もちろん織田ポ-ル(1928年のアムステルダム五輪でアジア人初の個人競技金メダリストとなった織田幹雄の三段跳びの記録15.21mの高さ)と電光掲示板上にある3本の表彰ポールには直接関わったし、思い出も未練もある。また、式典課の先輩たち(残念ながらほとんどが故人)は当然、聖火リレーや聖火台にはたくさん思い入れがあることだろう。漏れ承っているところでは、聖火台は「3.11」大震災の被災地石巻市にという話があったようだが、運送費、管理費その他の都合で立ち消えになったとか。

千駄ヶ谷門の近くにある学徒出陣記念追悼碑記念追悼碑は、間違いなく今の場所の近くに移設されるに違いないし、そうすべきものと思う。往時、政府と軍は兵力不足を補填するため、学生の大半を招集対象とした招集計画を立て、1943(昭和18)年10月21日、雨中の出陣式を神宮外苑総合競技場(今の国立霞ヶ丘競技場)で開催した。

織田ポールはできれば新しくして、同じものを新競技場に置いてほしい。前回の東京五輪では開会式で、日本人初の五輪金メダリストである織田選手らが五輪旗を水平に開いて運び、会期中このポールに翻った。

モザイク画がいま苦しい状況にある。


国立神宮競技場で行われた学徒出陣壮行式

モザイク画は陶片で製作されているもので、国立競技場内13カ所に大小の同様のものがあるそうだ。特に知られているのは正面座席上の2つ。向かって左の「野見宿禰象(相撲の開祖)」と右の「ニケの女神(古代オリンピックの勝利の女神、Nike=ナイキ)像」。長谷川路可(生乾きの漆喰に絵具を塗りこむフレスコ壁画を日本で初めて造った人)の作品だ。

この施設を管理する日本スポーツ振興センター(JSC)では工藤晴也東京藝大教授らに保存のための予算を算出してもらったところ、約6億円と出た。しかし、6月7日付の朝日新聞夕刊によると、「国の予算では約2億3千万しかなく、13点中6点しか残せない可能性が出てきた」とのこと。

惜しむ声は判らないでもないが、果たして13面のモザイク画をすべてを遺すべきか、私には異論がある。テレビその他で選手入場の時など一緒に映る機会の多かった「野見宿禰像」と「ニケの女神像」が後世に伝わればいいのではないかと私は考える。

<追記>
 以上は、5月15日に記述したものであり、その後の報道によれば、保存を求める多くの声が寄せられ、全13のモザイク画すべてを遺す方向で再興されることになったとか。以上述べたように私はその方向に向かったという報道を必ずしも喜ばない。今まで、どれだけの人がこれらの存在を知り、関心を抱いてきたかを考えると、新しい競技場は必要最小限のものを受け継ぐ形で斬新な設計をはかってほしいと考えるからだ。

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